老いるとは。

四十年近く商いを続けていると、長年にわたる固定客の方達の人生を見守ってきて、あらためて人生の縮図を痛感します。

四十代だった人が八十代になった現在の会話から、お帰りになる後ろ姿を見送りながら走馬灯のようにその方の生活状況の推移を振り返って想い出し、我が身に当て嵌めた覚悟を迫られています。

老いるということは体力と財力両方の低下を伴い、若い時の想像と肌で知る現実は全く違うので受け入れる為の苦悩の時間を要し、煩悶を繰り返して『親の歳になって親の気持ちを知る』に達します。

足腰が弱り耳が遠くなり、子育て時期の賑やかな家族構成から独り身になっても懸命に生活を維持することの寂しさと厳しさを味わっている独り暮らしの方の来店時には明るい話を心掛けていますが『久しぶりに話して笑った』との別れの言葉には胸が痛みます。

ただ女性の場合はまだ救われる思いがするのは、男性と違い近所の女性同士の横の繋がりが少なくなっても残されていて、よほど嫌がられる性格でなければ社会と繋がる細い糸が残っているからです。

コミュニティー崩壊の現代において誰からも必要とされず、注目もされず、そして興味さえ持ってもらえない状況に陥った孤独感に身を置いている老人は沢山おります。

以前退職後にスーパーの夜間店長をした方が、老人の万引きが非常に多く、そのほとんどの人が一人暮らしなので対応への苦慮と職務の板挟みのストレスで『もう辞める』と話していたことが印象的だったので忘れられません。

推察するには自分自身の満たされない思いから出た、万引きへの抑えきれない衝動でしょうが、思春期の非行に似た人間の自己顕示欲が反社会的行為であっても自分の存在を承認されたい本能みたいなものとしてあるのでは? と思います。

人間にとって孤独より辛い孤立した状況は、たとえ若い時でも耐えがたい苦悩に陥るものですが、高齢者は認知症扱いの対応も受けがちなので、プライドが傷つき自己嫌悪と自己顕示欲から自暴自棄になって問題行動を起こしがちです。

日本では全国で年間三万人ほどが孤立死していますが、その七割位を男性が占めているのも頷けます。

それは男性特有の『男のプライド』で、過去をいつまでも背負ってというより振り回して生きている人が多く、正直に弱音を吐かずにその分吠えるので孤立に向かう傾向が強まるからだと思います。

老いては子に従えと頭では判っていても出来ない男の悲しい性を克服している人は少なく、逆に恩着せがましいことを言って孤立の度合いを深めている人の多くは妻に先立たれた孤立した男性です。

そんな人ほど奥様が元気な時に支配・命令していた傾向が強く、奥様を失っても自分が妻に依存して生きていたことを認められないジレンマから抜けられないので、プライドから何処にも助けを求められずに苦しんでいます。

会社という縦社会の人との繋がりしか持てないで定年を迎えてしまうと、戸惑い反動で妻への干渉や依存も増えてしまいます。

昔『亭主元気で留守がいい』という言葉がありましたが、定年後は『女房元気で留守がいい』と夫が思えるくらいに妻を自由にして、自分も家事に参加したり、趣味を捜して横の繋がりにも慣れ親しむ努力を積み、自分なりの目標やテーマを持って日常生活することが自分と共同生活している妻の為にも必要です。

娘が高校生の頃『どうしてお母さんと結婚したの?』と聞かれた事があったのですが、お父さんは一人で生きて行く自信が無かったので好きだったお母さんに結婚してとお願いしたと話しました。

その時複雑な表情をしていたので、人間は誰かと支え合っていないと生きていけない弱い生き物だから『人』と書いているのでは? と言うと、『お父さんも弱い人間なんだ』とひとり言のように言ったので、一人で平気な強い人間なんていないと言いました。

それと若い人も高齢にならないと理解できないと思いますが『いつまでも枯れない』老人がいるからシニア婚活や不倫サイトへのシニアアクセスがあり、アダルトビデオ関連の仕事をした事がある人に聞けばシニアが如何に多いかが判るように、死を迎えるその時まで男の脳は枯れずに生きて続けています。

男の生は性と通じる生殖本能が基本として備わっていて、高齢の一人暮らしの父の世話をした女性が掃除中にベッドの下などからアダルト雑誌やビデオを見つけて驚き相談を受けたことも多々あり、女性と男は本能の根本的な部分が違います

もし私が一人になったらアダルト雑誌とビデオを娘に公認して欲しいとお願いしたいほどに男は枯れないもので、妻がいなくなって独り身になるとアダルト雑誌やビデオを見て若き日の自分を振り返ってオスを確認(元気な頃の自分)したいのでは? と思います。

難しいことですが上手に老いる為には体力と財力の低下を受け入れて、お金のかからない趣味を見つけて向上心を心掛け、体力の維持を心掛けた食生活と自分の年齢に合わせた運動を日課にし、出来るだけ妻や子供達に迷惑をかけないように生活することですが、その為に一番大切なことはつまらない『男のプライド』を捨てて若者も含め多くの人に楽しい人と思われるようになれば、おのずと好かれる老人に近づきますが、最優先は若者にも妻にも上から目線ではなく下から目線で話す習慣を身に付けることです

そして五十歳位までは出来なかったことができるようになるような獲得することが成長でしたが、六十歳位からは出来ていたことができなくなる失うことも成長と考える余裕が大切で、必然を受け入れて未練たらしく過去を見ずに、失うものを潔く受け入れると前を向いて生きて行けると思います。