自信の伴わない自尊心。

川崎市における中学生殺人事件の主犯格十八歳少年のような残虐性を持つ人の特徴はプライドは異常に強いのですが、実は自分には自信がなく虚勢を張って生きている人に多い精神構造です。

現代人には大人も含めてこのような人間が増殖している結果としてスートーカーやリストラ等の陰湿なイジメやママ友トラブル等の増加になっており、歯止めが効かずエスカレートする傾向が強いのも特徴的で、これらの人達も少年と本質的な部分で繋がっています。

これは自尊心というプライドと自分自身を信頼できる自信とのアンバランスが根本的原因ですが、このような人間の特徴として強者を恐れ迎合する自分自身の弱さから逃避し続ける為に、弱者をイジメたり陥れることでしか自らのバランスを維持し消化する方法を持っていない悲しさを抱えていることです。

このような人達の危険性は強者への迎合という自己抑圧の日常的な継続が、自分より弱者へのはけ口に向かう時の爆発力になってしまい自分自身で歯止め抑制が効かなくなってしまうことです

コンビニでの土下座要求やクレーマーの増加なども、いったん自分が優位に立ったと錯覚すると要求がエスカレートして行ってしまい、知的想像力も欠如している場合が多いので犯罪になるまで止められない為に悲しい結果に繋がります。

人は誰でも人生でこのようなアンバランス状態に直面する時がありますが、その歯止めになるものが自己肯定感を持った記憶です。

人間を家に例えると家の土台が自信(心の土台)の基礎に当たりますが、この土台は育って行く中で弱い駄目な傷ついた自分でも愛してくれ見守ってくれた人によって築き上げられ、そんな愛情を授けられる中で自分がこの人には無条件で必要とされる人間と無意識に確認し記憶し、『自分は生まれてきて良かった』人間という自己肯定感に繋がって行き、人生の苦難に立ち向かう心の土台として形造られて努力に繋げられて行きます。

本来は親から授けられるのが理想ですが、祖父母や社会に出て他人からも無上の愛であれば時期は遅くても大丈夫と思います。

この土台が出来ていないで地位や名誉という立派な家を建てても砂上の楼閣で、幸せな家族関係や有意義な人間関係を継続するのが難しくなり生きている喜びをいつも実感できない人生に繋がります。

逆に心の土台さえ出来ていれば、人生の逆風で家が破損・倒壊しても土台は揺らいでいないので、また新しい家を建築する作業に着手できますし、失敗から学び成長を継続できます。

現代は家庭も社会も結果を急ぎ求める傾向が強いので、即戦力という言葉が示すように全ての人が急かされて生きています。

そして若年層の中には『自分探し』をして迷路に入ってしまう事があると思いますが、他者と比較して自分自身を見つめてしまう傾向を持つと迷路からの脱出がより難しくなってしまいます。

私も若い頃に自分はどんな人間なのか? の自分探しの罠に嵌ってしまい考え過ぎたことがあるのですが、自信より不安が増幅してしまい大切な自尊心までもが揺らぎ始めて、その結果より背伸びをしてしまって悪循環から抜けられなくなった記憶があります。

そんな時に何かの本で『自分探しなんかするな』という言葉に会い

ホッとしたのを覚えていますが、その中に『自分自身を一番知らないのが自分で、他人が自分を評する言葉が自分自身の本当の姿なのだ』と書いていて、それを受け入れると何故か? スーッと胸に沁み込んで妙に納得したのを覚えています。

それからは他者が言う私への批評も『私はそういう人間なんだ』と受け入れてから、それが自分で嫌なら『どうのように直すか?』を思案して修正の努力をひとつずつ増やして行きました。

長所と短所は表裏一体な面もあるので、反面長所になる部分についてはこのままでも良いのでは? と考えました。

矛盾しているようですが弱さを認めると楽になり逆に強くなったように思え、相手に酷評され怒りが湧いた時ほど真実で、その事実を自分が認めて素直に謝罪する事が自分の成長に繋がり、謝罪が言い過ぎた相手の内省も促し関係が変化して行き、意外と以後はお互いが寛容になってお互いの人間関係改善に繋がったように思います。

親子・夫婦関係の中でもでお互いの欠点も含めて言い合えるようにして、それでも相手を大切な人という思いを何気ない日常行為を通じて通う合う安心感が、それぞれの信頼に繋がりその信頼関係がそれぞれの自信を育み、それぞれの自己を維持する為の大切な自尊心(プライド)との均衡を上手に作り上げて行くと思います。

いつも妻は私に『小生意気なひねくれ者』・よく喋るので『男のおばさん』・子供のように好奇心が強いので『お子ちゃま』などと、私は妻に知らない事が本当に多いので『頭が悪いねー』・趣味の水泳と卓球で出歩いてばかりなので『お母さんは離し飼いです』などとお互いに言い合っていても、まるで漫才のボケと突っ込みのように毎日を過ごせるようになりましたが、お互いの実像を認め合ってお互いが安心して過ごせる関係になったように思います。

小柄な人がチビと言われたら怒るように、人間は本当の事ほど激怒する傾向があり、大切なことは本当の事ほど怒ってはいけない事で、怒りが湧き出るのものは自分が認めたくない欠点と認め、そんなに嫌なら自ら受け入れ修正する努力に繋げることです。

やってみると意外と簡単なことで、素直に受け入れることさえ乗り越えると今まで見えなかった広い世界が見えてきます。

それは他者と比較しての自分の有りようではなく、自分に相応しい立ち位置や生活で満足できるようになることにも繋がります。

事件や事故は社会の世相を反映しているものですが、今回の事件の被害者も加害者も自己肯定感(心の土台)を持てない環境で育ってしまった虚しい心の隙間から生まれたもので、自己肯定感さえあれば起こっていない事件です。

この自己肯定感の原点が母からの愛ですが、格差や離婚によるシングルマザー増加による貧困世帯の増加問題とも絡んで、そのしわ寄せが子供達に親からの愛情不足として波及して様々な事件となって出て来ているように思います。

大切な人に愛されないで育つと、人を愛する気持ちが育まれていないのに自分と他者の比較をしてしまうので、逆に誰もが持っている嫉妬や憎悪や妬みの気持ちが増幅してしまい、支配や暴力による虚しい優越感からしか自己を維持する術が判らない落とし穴に嵌りがちになってしまいます。

そして愛を受け取っていない人は、どんな行為をしても誰からの愛も失う怖さがないので歯止めが効かない悲しさも抱えています。

『罪を憎んで人を憎まず』は深い言葉ですが、誰でも無上の愛を捧げた相手を事件などで失ったら『目には目を』の悪循環になりますので、子供達が自己肯定感を持って社会に旅立てるような安定した家庭環境作りの社会的対策が必要な時期と思います。

鬼畜と言うのは簡単ですが、鬼畜に育った人間の養育環境は親の心の余裕を奪う経済的な貧困も大きく作用していますので、片寄った豊かさの裏で進んでいる格差の是正が現代資本主義社会においての緊急課題です。