日本に漂う不幸せ感。

バブル崩壊以後の日本人全体に漂う不幸せ感が、経済というお金が全てになってしまっている事に『なんか違うんじゃないか』と言う気がして考え続けています。

確かにお金に困って生活に窮するような貧困を味わう怖さを私も認めますが、それよりも現代人の考え方に不幸せ感の蔓延の原因が有るのでは? と感じております。

本当に食べ物が無くなったら? という状況になると人間のむき出しのエゴが出て来ますが、そのような時の人間の生存へのエネルギーみたいなものを東京で二十代の頃のオイルショック時に目の当たりにしました。

私も結婚して間もなく、家庭を守る意識が強かったので最低限の防衛行為をしたのを覚えてますが、あの時の状況の人達の心理状況は不幸せ感などではなく無く切迫感だったと振り返って思います。

高度成長で物が無いという切迫感から解放され、その後のバブル崩壊以後から幸福感がないという精神的なものになったように感じますが、それは自分達のせいも有るんじゃないか? と考えない人達が多くなり過ぎた事もあるように思います。

今の日本人の不幸せ感の蔓延は取り敢えず生活できる平穏な豊かさに慣れてしまい、でも満たされない退屈な毎日への不満から出ていて、誰もが自分自身の不満を一番上の価値に置いて考える傾向が増え、それを埋めるものはお金と短絡的に考えているようです。

引き籠りの人達も似たような状況で、取り敢えず食うに困らない状況の中で自分の不幸を嘆き退屈な毎日を過ごしています。

逆説的な考え方ですが幸せを感じられないような退屈な毎日に不満や不幸を感じて過ごすくらいなら、その逆の少し辛い体験を自ら望んでしてみることも必要なのでは? と思います。

ニュースになった北大生のイスラム国への参加は、現代の若者にとって生きづらい社会の閉塞感からの短絡的な現実逃避で、その為の思考や哲学を回避した飛躍でしかなく、歴史的にはいつの時代も既成社会は若者にとって生きづらい社会だと思います。

そんな現実逃避の考え方が蔓延するのも、実は自分自身の不満に向き合い生きる(食う)為の哲学をしなくなった事ですが、それは豊かな時代の親たちが子供達に安心・安全な道というレールを敷きリスクを避ける生き方を強要した事と繋がっていて、親はただ懸命に生きて跳躍(ブレイクスー)する姿を子供達に見せるだけで、子供を生きることの哲学に自然に導くと思います。

例え駄目な親で有ってもレールを強要する親よりは有益で、駄目な親を見て反面教師に捉える教育効果の方が、子供の生きる力や哲学になっているもので私の父も実はそうでした。

私が借財を背負っている時、トライアスロンを始めて一番の良かった効果は、練習で肉体的苦痛を味わうと精神的不安や苦悩が和らぐ効果があった事です。

不安で寝付けない夜も全ては自分自身の不徳の致す所と受け入れ、安心して眠る妻や娘の寝息を聞ける喜びを再確認しながら、守るべき愛する人の為に不安に負けない強さを発揮したように思います。

人は何かを失う事を恐れると不安になるものですので、元々行商から始めた身なので返済できない時は、つまらないプライドより健康をと考えて潔く店舗を引き渡してゼロに戻れば良いと考えました。

現代人の不幸せ感は生まれた時から『足りている』から『足るを知る』ことが出来ず際限のないお金への信仰という病に侵され続けることにあるように思います。

人は人によって傷つけられますが、人によってしか癒されないもので、物やお金では一時的にしか癒されないと思います。

人間も動物で生き抜く為には食べ物を得ることが本来の目的で、お金はその為の手段なのですが、今はお金が目的で食べ物はいつでも何処でも手に入るので生きる為の単なる手段になっています。

つまり車を走らす為にガソリンを入れるように、食べ物への官能や作ってくれた人への感謝など無く無機質にものを食べているから自らの生を実感できないのだと思います。

ストーカーや近隣トラブルの事件なども自分自身のプライドがいつも優先で、同じ目線で相手のプライドも考える相対的な見方が欠落しているから、全てを自分優先で考える思考回路になります。

私が考える人間としての一番の尊厳(プライド)は、高齢になって自分自身でトイレに行けなくなることで、それ以外の日常のプライドは傲慢の裏返しのような気がしております。

そんな時私がどのような覚悟で受け入れるのか? その時を迎えた時の自分自身の心の在り方をいつも思案しています。

何事も想像と現実は違いますが、全ての事は現実を受け入れる覚悟が大切で、今の日本人の不幸せ感の蔓延はバブル時代の延長で現在を考える思考回路から抜け出せないからです。

日本人は価値や倫理を世間の基準に求める傾向があり、そして多勢に迎合する危険な集団主義のため何事にも片寄る傾向が顕著に出てしまいます。

そして集団に合わせない者を排除する島国的排他傾向が、状況が良い時は過剰になって破滅に向ったり、状況が悪い時は過少(臆病)になってブレイクスルーを妨げたりします。

不幸せを感じた時は今ないものにこだわるのではなく、今取り敢えず自分が持っているもの(健康など)に感謝し、自分の感じている今の不満に対しては自分自身の責任も考えに入れ、不満解決の方策のために少し辛い厳しい状況に自分の身を置くことの方がずっと健全になれるのでは? と思います。

不安の反対は自信ですが、自信とは分自身を頼できることで、誰かが与えてくれるものではないので、その人自身が自分が持つ不安や不満を乗り越える積み重ねの中からしか獲得できないものとの自覚から始っています。

毎日食事ができて守るべき大切な人がいる、そして自分を必要とし大切に思ってくれる人がいる、それだけで誰でも本当に幸せなことだと私は思っています。