サイコパシーの増殖。

サイコパシーとは精神病質と訳されますが、心理学でも特に異常心理学分野で判明してきている反社会的人格者を指しています。

最近話題の沢山の老人と結婚し殺害して巨額の遺産を手に入れ逮捕された筧被告などは典型的なタイプと思います。

簡単に言うと超個人主義の人で、その特徴は不安や苦しみが無くて何事にも罪悪感を感じず、欲望だけは異常に強く残虐な性格が大きな特徴です。

普通の人間とは違い欲望に向って猛スピードで暴走する車に例えると良く理解できると思います。

普通の人間は欲望を持っても、罪を犯せば逮捕されるのでは? 

という不安からブレーキを踏みますが、このような種類の人間にとっては不安というブレーキがないので欲望というアクセル全開で暴走する方が自然なのです。

人は無意識ですが自分の考えを尺度に他人を判断してしまいますので、そんな人がいるのか? と思ってしまいますが、同じようにサイコパス(精神病質者)も自分の思考基準で生きています。

このサイコパシー人格は先天的にもって生まれる人と、育った環境によって後天的に身に着けてしまう二種類があるそうですが、先天的にその傾向がある子供を矯正する方法に、なぜ資本主義と共にサイコパスが増殖したのか? のヒントが隠されています。

先天的にその傾向がある子供を矯正する方法は、きつい言葉を避けて優しく善悪を教える・他人の気持ちを思いやることを優しく教える・最も大切なのが親の無上の愛をいっぱい与えるです。

無上の愛とは、子供が親の希望通りになった時や成績が良い時の愛ではなく、ただその子がそこに元気でいる存在そのものを愛することですが、どこの国でも豊かな社会になってからの親は子供の教育やスポーツ指導など子供への期待から過剰なストレスを背負わせて育てている傾向があり、それがサイコパスを増やしているような気がします。

先天的にその傾向がある子供の大きな特徴は『目を合わせない・残酷な面がある』ですが、後天的な子も同じ特徴があり何事も笑ってごまかす傾向の子供も明らかに後天的で、親や家族などの接し方が子供に不安を与えている家庭的問題が原因です。

サイコパスにとっては全ての人も物も自分の欲望を満たす為の手段でしかなく、その目的達成の為には手段を選ばず、その犠牲になった人への罪悪感などは欠片もなく、例えば人を殺した後でも不安などより『手を煩わせやがって』が本心だそうです。

サイコパスの増殖は行き過ぎた資本主義の弊害か? 資本主義末期の兆候か? と思っておりますが、犯罪者にまでは行かなくてもサイコパスの傾向が大企業経営層に多く認められたと書いていたことには的を得ていると思いました。

景気回復で求人が増えたと報道していても、中身は正社員が約三十万人減少して派遣社員が約百三十万人増加したが実情で、強者にとってだけ都合の良い景気回復です。

経営者にもサイコパス傾向があればリストラした人の家庭がどうなっても罪悪感など無く、会社と自分達の利益という欲望を満たせば良いのでアクセルを踏み続け、政治家への派遣法改正を陰で迫りますが政治家にも超利己主義のサイコパス傾向があると私は思っています。

こんな社会状況の中で底辺に追いやられた人達の家庭が愛の多い家庭とは思えないので、次の犯罪者がサイコパスとして社会に沢山出てくるのは目に見えています。

富める者はより富を求め贅沢を繰り返すのも病ですが、貧困から貧困の連鎖が続く社会で生き抜く為にサイコパスという病の人間を生む社会状況はもっと異常で、私ば確信的に資本主義の末期症状と思っています。 

オクスフォード大学の心理学ケヴィン・ダットンの統計調査でサイコパスの多い職業は、会社経営者・弁護士・ジャーナリスト・小売業者・外科医・新聞記者・警察官・聖職者・コック・軍人の順だそうで私の職業も入っています。

今のようなお金持ちになる事が勝者の異常な社会では、健全に育った良心のある人は勝者にはなれず、非情な超利己主義者の方が勝者になれるのでは? と思ってしまいますが、上記の結果を見るとその通りです。

しかし人間は誰でも死を迎える直前の本人にしか『幸せな人生だったか? 不幸せな人生だったか?』は判りません。

お金や地位のようなものを手に入れて幸せを感じる人は、人の不幸を見て自分の幸せを確認している相対評価で判断している非常に心は貧しい不安定な人達です。

逆に『幸せな人生だった』と思える人は、自分自身の人生を振り返って沢山の人達との数々の贈与と返礼を繰り返した中で紡いだ人間関係の繋がりを絶対評価で心から満足できた人だと思います。

時々葬儀の列席者の数で死者の評価しているような言動を耳にしますが、私はそんな見方しかできない可愛そうな人と思っています。

行商二年・店頭で三十八年過ごし沢山のお客様と喧嘩に近い議論をしてきましたが、本当に長くお付き合いできたお客様とは議論をしなくても無言で判り合えるものがあります。

若い時は世界中の人を敵にまわしても、私の全てを知っている妻と娘が味方なら頑張れると言っていましたが、今は妻だけになり妻に『私が先に死ぬから、一人で頑張れ』と言われ実は困っています。

贈与か? 搾取か? 共生か? で考えると、お互いに下心の無い贈与と返礼の繰り返しの中で心が通い合う共生が本当の幸せを実感できるものでは? と死ぬ前ですが私は思っています。