オレオレ詐欺と親子の立場のちがい。

当店のお客様にも高齢で一人暮らしの方が多くおり、その中の方達にはオレオレ詐欺の電話を受け、危うく難を逃れた人達がおりますが、お話を伺っていて現代社会の病理みたいなものが見えます。

最近は子供の同窓会名簿などで、あらかじめ子息の名前を調べて電話が来ているものが増えていて巧妙化していることが伺えますが、なぜ騙される前に子供に電話をしないのか? と言われますが、じっくりお話を聞いているとその原因が日常生活の中に隠れていることを実感させられます。

先日の人も声が違うと言うと『ひどい風邪をひいてる』と親を心配させ、普段電話が来ても名前など息子は言わないのに『??』と言い『実は相談があるので、明日家に行く』と言って電話を切ったそうです。

その夜は不審(電話番号が非通知になっていた)より息子の具合と何が有ったのだろうとの心配で寝られずに過ごしたそうです。

一日を心配と不安に陥れてから、翌日『急用で行けなくなった、実は株で損をして会社のお金に手を付けた』趣旨の電話です。

この方は息子さんがトラックの運転手で、株をするようなタイプではないので数々の不審に気が付いて警察に連絡するよ! と言うと電話を切ったそうです。

では何故その後にもう一度息子に電話連絡をしなかったか? ですが、ここが日常の大切な所で、普段電話をすると仕事中は勿論遠慮していて、それ以外の時でも親からの電話に『何?』と意外と冷たい反応が多く、どの親御さんにも共通していることが子供達への遠慮と気を使っていることです。

いつでも何か困ったことが有ったら電話していいよという配慮をされている人は皆無に近いのです。

それは子供側にすると、現代社会では井戸端会議などのコミュニティーが崩壊していますので、孤立して生活している親は寂しさで、忙しい時にでも際限なくつまらない用事(子供にとっては)で電話がくるようになるからです。

若者はお金と時間が足りない、高齢者は時間はたっぷりと少々の蓄えがあることになりますが、お互いの内容は正反対ですので噛み合うはずが有りません。

昔の様に地域社会が機能していれば、一人暮らしの親でも話し相手がいて良くも悪くも忙しい日常ですが、現代社会はお金では買えない孤独より辛い孤立の中で生きている人達が沢山います。

一昔前に多い詐欺で、老人を集め最初は無料で沢山の物をくれて、狙いを付けた高齢者には送迎までして親切にして情を通わせてから最後に高級な布団を売りつける商法が有りました。

その商法から高額な布団を買って息子に叱られたお婆さんが私に言った『息子は文句を言っても、あの人達のように優しくしてくれなかった』と言ってから『騙されたとしても、優しくされて嬉しかった』と言った言葉の中に潜む寂しさは忘れられません。

高度成長時代の資産インフレと年金で財布は豊かになっても、高齢者には欲しい物もなく行きたい所に行く体力もなく、使う予定は死を意識した使い道だけの悲しさなら、騙されても優しくしてもらう方を選んだことは責められないし、知っていても優しさを選んだお婆さんが『すごい』と私は思いました。

高度成長は『家族解散!』のように家族がバラバラでも生きていける豊かさをもたらし、それが実は消費を増やしました。

しかしその後のバブル崩壊後は格差と若者への負担増を強いても、シルバー民主主義と呼ばれる程に高齢者市場が消費を支えているような状況になってしまいました。

インフレで給料も毎年上昇して物が飛ぶように売れた時代を『明』とすると、デフレで就職難にリストラに給料が下降しサービス残業に嫌なら辞めろの無言の圧力に年金は先延ばしの世代は『暗』です。

ここにも実に対照的な正反対の状況があり、お互いに寂しさと厳しさをなんとなく知ってはいると思っていても、お互いに骨身に沁みては理解していないのが実情です。

孤立している人にとっては、何気ない一言も実に骨身に沁みていて、電話一本でも躊躇しているのです。

判っていて騙されたお婆さんが息子に『騙されるお金が有ったら、俺にくれ』と言われたけど『やらないの!』と言っていましたが、その気骨に惚れました。

時代状況の劇的な違い世代間のギャップの二つの狭間につけ込んでいる詐欺グループも、私には真面目に生きても報われない若者を大切にしない社会への下剋上に見えてしまう時があります。