甘い蜜の罠。

最近振り込め詐欺グループ逮捕時に過去振り込め詐欺にあっている人達や悪徳商法商品購入実績のある人など、騙しやす人達1万2千人の名簿が見つかったとの新聞報道が出ていました。

詐欺師のお得意様名簿で出回っているようなので、警察庁が予算を組んで担当者を配置し電話で警戒を促す趣旨でした。

しかしいつの時代も形を変えて存在する詐欺行為にも需要と供給のような関係が存在するように思えます。

つまり甘い罠に気が付かない背景には、甘い罠への警戒以上にその人の欲望の方が勝っていることが根本問題として存在しています。

なるべく楽をして成果を手に入れたいという欲望は誰の心の中にもありますが、義務と責任を果たして手に入れる自由と権利の経験を二十歳代頃までに積み上げる人生経験があるか? ないか? が大きく作用しているように思います。

育った家庭の文化的なものも作用していますが、二十歳代頃までの人間的成熟期までに心の中に沁み込んだ生き方が、丁度体のシミやホクロのように沁み込んでしまうような気がしています。

一言で言うと人間性という言葉になりますが、甘い言葉や蜜の味に吸い寄せられる人達に共通しているのが、相手の立場になって物を考える習慣がないことです。

幼児期の自我は本能的に生き残ることを優先する為に主観的立場だけで物事を考え、自分の得になることだけを優先して決断することが脳にプログラムされて成長しますが、その成長過程で庇護している親や家族が小さな怪我や痛みを経験させて、自分自身の身を守る術として自分の身の回りの人達への配慮が肝要なことを学習させ、自分の報酬と相手の報酬を相互に考える配慮を身に付けないと、人間社会の中では生き残れないし生かされないと思います。

愛情も物も貰うことに慣れ過ぎた環境で育つと、いずれ高い代償が待っていますので、成熟期までにある一定の失敗の経験を積ませて身に付けさせないと何度でも同じ怪我をし続けます。

キリストの『与えよさらば与えられん』の言葉を逆説的に利用するのが詐欺師達です。

無償で相手に利益を供与するように見せかけて、与えると見せかけた幻影から多大な利益をむしり取ります。

砂糖に群がる蟻を求めて、詐欺師達はその時代の蟻達が求めている砂糖の形を変えて提供し続け騙します。

警察庁が警告しても人間の性みたいなものが引き金になっていますので、運命の糸に翻弄され引きずり込まれていく悲しさがそこにあります。

資本主義の蔓延でお金が全ての絶対価値基準のようになり、全てが損か? 得か? になっていますが、実は人間が精神的な幸福感を感じるのは自己犠牲による愛の贈与をした行為の時で、特にその対象に自分の行為への感謝を受けた時に無上の喜びを感じるのが人間だけの特質です。

お金に関する面白いデータ記事を読んだのですが、年収五百~六百万円の世帯の方の貯蓄額が年収1千万の世帯を平均でかなり上回っている記事でした。

その調査をしたフィナンシャルプランナーの分析が的を得ていて、高収入の人達は月1回しか行かないスポーツクラブの会員になっていたり、何でも新商品に飛びついたりで実に無駄な出費が多く、高収入に胡座をかいた生活を家族全員がしている。

逆に低収入の二百万以下の人達は、生きる意欲みたいなものへの諦めから刹那的な無駄な消費を繰り返していて、貯蓄意欲そのものを諦めている生活態度とのことでした。

つまりその中間の収入の人達が実にバランスの取れた消費生活をしていて、現在の愉しみと未来をも見据えた充実した生活設計をしているとのことでした。

限りない欲望の肥大を抑制コントロールし、過去と現在と未来を線として捉える思考が、自分と他者をもひとつの線で捉えることに繋がり、甘い蜜を提供されても『相手の立場を考えれば』何かおかしい? と気づくことに繋がっています。

何事も少し足りない状況を甘んじて受け入れることが生きて行くには一番大切なことでは? と思います。