創業を長く維持するには?

人間は何かを始めると本能的に拡大を目指し、スポーツでは記録の更新を目指しますが、その時は全てに限界(体力的にも金銭的にも)があることを忘れています。

その限界を忘れた錯覚が文明の進化に繋がっているのですが、果たして文明の進化が人類の幸せに繋がっているのか? の答えは疑問のような気がします。

お金や地位を手に入れたら幸せになれると錯覚している人はお金や地位を手に入れていない人で、本当に両方を手に入れた人の実態を知らない人にその実情は闇の中です。

企業も実態は家業から始めていますが、拡大につれて人を雇い次に店舗を増やしますが、この辺からは面白くなって来てゲーム的な野心が芽生え虜になるのがほとんどの人です。

北海道では今ホーマックという会社の本元は釧路の金物屋さんで、アメリカのDIYを真似て石黒ホーマーとして店舗を拡大しましたが、拡大に資金が追い付かない時に銀行の間接金融から、株式市場に上場して直接金融による資金調達にしました。

薬のツルハも似ていますが、この直接金融による調達は株券という紙切れがお金に変わるのですが、この株券という紙切れの数・・・すなわち株式保有数でその会社の持ち主が決まって行きますので・・・気が付いたら創業者のものではなくなってしまいます。(今はどちらも増資によってイオンの資本傘下と思います)

つまり拡大も博打に似て、拡大に資金が追い付かなければ倒産になりますし、その資金調達に銀行の間接金融では金利負担と融資限度が拡大過程に重くのしかかります。

しかし資本主義社会になり株式市場からの直接金融の審査基準を満たせば、株券という紙切れがお金になってビジネスの拡大資金として調達されます。

これは便利ですが綺麗な物には棘が有るに似て、この上場の時点から会社そのものは個人のものでなくなり公的なものになることを資金欲しさに無意識的に忘れています。

ヤマト運輸は小倉昌男さんが一代で築き上げ、官僚の壁と闘い続けた思想的・人間的に優れた人でしたが、何年か前にアメリカの娘さんの所で亡くなった記事を新聞で読みました。

全国に作る営業拠点費用と届ける人の人件費の巨大な資金なしに画期的で的確なサービスは実現できませんでしたが、情熱と思想が社員に伝わったカリスマの存在がヤマト運輸小倉商店でした。

しかしその後五人の子飼いの人が社長を務めた後に小倉さんの息子さんが継いで四年程で社長が変わってから、ヤマト運輸は銀行の子会社のようになり、今はみずほ銀行からの会長が実権を握っていますがサラリーマンでオーナーでは有りません。

小倉さんがアメリカで亡くなった理由は、自分の人生をかけて具現化したヤマト運輸のこのような経過の現状を目の当たりに生きる苦悩からの逃避があったのでは? と推察して胸が痛くなって新聞記事を読んだのが今でも忘れられません。

茶業界でも長い創業の歴史を持つ福寿園はサントリーの伊右衛門に、それを真似て上林春松本店はコカ・コーラの綾鷹に老舗の名を貸し身を売って生き延びようとするのも、高度成長時の拡大の誘惑に負けた後に、まさかと疑うデフレ急展開の果てに訪れた急須でお茶を淹れる文化の衰退でした。

創業からの持続には家訓のようなものが必要であり、時代の変化と共に品質や姿勢などの変えてはいけないものと、時代の変化への対応で変えるべきものの選別で、時代の誘惑に負けない本物の品質を求めるお客様への誠意の継続です。

どんな商品でも本物を理解できる人は1~2割で、この人達は他への消費を我慢してその本物の商品への消費に当てていますので、拡大と共に起こる品質低下を見抜く目を必ず持っています。

『身の丈を知る・分をわきまえる』の言葉がありますが、品質が維持できないなら拡大してはいけないことで、どんな商品でも優良品(特に農産物)も1~2割が真実です。

人は流されやすもので人と同じ方向に流れると安心するものですが、良い時はこんな事は続かないと戒めて考え、悪い時は卑屈にならず楽観的に考えて原理原則を守り続ける、社会に流されない勇気が必要です。

創業何百年は家業が多く、拡大より品質を優先し継続して来店して戴いているお客様をいつも念頭に置き、そのお蔭で自分達と従業員の生活が維持できていることを忘れない事が必須で肝要です。

資本主義の時代が進んでから企業の寿命が短くなっているのは、資金調達が容易な直接金融になり消費者の為ではなく資本家の為の企業が増加したことが大きな要因ではないか? と思っています。

大事なことは文明の進化と共に、企業や個人の文化も進化しないと何事も維持できないように出来ていることを肝に銘じる時です。