本当の味方とは?

田中将大選手がヤンキースと161億円で契約をしたとの報道を聞いた時、また砂糖に群がる蟻のような存在に苦しむのだろうな~と

他人事ながら心配させられました。

妻にはまた『負け犬の遠吠え』かい? 本当にへそ曲がりな考え方をする『小生意気なひねくれ者』だね!と言われ、きっと死ぬまで直らないのでしょうねと笑われました。

私は世間の注目を一身に集めている人の報道を見ると、いつもこのように大きなものを手に入れた人は、貢物として代わりの大きなものを失っていると思ってしまいます。

大金が入った有名人達に、突然知らない親戚や同級生が近寄ってくるのはトリクルダウン(おこぼれ)を求めてやって来ることが下心にあり、逆に困っている知り合いには冷たくなるのは頼られるのを避けているからです。

このような利害行動を取っている時、ほとんどの人は無意識に行っている生存本能みたいなものですが、実はその生存本能の中にその人の人間性の本性が宿っています。

人間とは複雑にできていて、困っている人を助けている時の気持ちが本心からか? はその後にその助けた人が自分より成功した時に嫉妬しないで、恩を売ることなく『苦労が報われ良かったね』と心から喜んでくれる所まで辿り着かないと判らず、そうゆう人はごく少数です。

同情よりも難しいことは、その人の人生を遠くから見守り続け、その人の成功や幸せを心からの喜んであげることです。

誰にでも存在する『人の不幸を見て自分の幸せを無意識に確認したり、人の幸福を見て自分の不幸せを無意識に確認したりする』ことの強弱が人間性です。

私は三十九年前に行商からお茶屋を始めて、今の店舗を持ってここまで過ごして来た浮き沈みの経験を通じて本当に沢山の事を学ばされました。

特に身近な父には反面教師として多くを学ばされ、事細かに述べるのも苦痛ですので削除しますが、罪深い人間の持っている業みたいなものの強い人だったと思う事と、その業の強さは父の育った環境の中に有った可愛そうな人だった事を父の死後に思い到りました。

まだプレハブの店舗で営業している時が父の嫉妬で一番苦しんだ時期でしたが、その時のお客様で明治生まれのお爺ちゃんが来店していて世間話をしながら見守ってくれているのを感じていましたが、ある日『高野さん、悪い人も仏様が悪者になってあなたに教えに来ているんだよ』と言われた時、何も話していないのに? その時に私は確信を突いた言葉として受け取ったのを覚えています。

それ以後私は地位やお金や名誉より、好き嫌いを自分の行動や行為の一番の基準に選択することにしました。

自分にとって好きな人や大切な人に、例え自分が犠牲になっても幸せになって欲しいと思ってする行為なら、結果そのようになった時に『良かった』と喜べることと、例え感謝されなくても自分が好きでしたことと納得できるからです。

人間持っている業の深さも、誰でも根本的には自分が一番可愛いからと考えると納得できますし、そんな人間がする一番尊い行為は自己犠牲という思いに到りました。

誰も若い時には『自分に良くしてくれる人が、自分にとって良い好きな人』になりがちですが、実は本当に自分を思ってくれる人は相手が良い事に恵まれている時は意外と遠くから見守っているものです。

困った時に助けてくれる人への感謝は大切ですが、震災以後の経過が現わしているように一時的な同情がほとんどで、本当の味方は見えにくい自分の幸運や絶頂の時に妙に近づき過ぎずに喜んでくれている人です。

誰の人生にも浮き沈みはつきものですが、浮いてる時も沈んでいる時もその人生は先に繋がっている事を忘れないことです。

運は運ぶと書きますが、このような時の判断や見分けが後の人生の運や運に繋がっていると思います。