人材こそが国の財産。

資本主義社会では株価が成長と豊かさのバロメーターになっておりますが、そこに国民の資質などは勘案されていないことが日本の未来を見誤ることに繋がっています。

終戦後の日本の高度成長をどの国の人達が想像できたでしょうか? 根本的には寺子屋辺りからの教育水準の高さと道徳教育のような倫理水準の高さが根底に有ったことが復興の底力として発揮されたことに尽きると思います。

勿論他国の不幸に便乗したベトナム戦争や朝鮮戦争などの外的要因の恩恵を受けて、息切れしそうになった高度成長を奇跡的に続かせた要因も半分はあったことも認めます。

二十七年前にニューヨーク市場で起こった『ブラックマンデー』の時にノーベル賞経済学者ゲーリー・ベッカーが言った『確かに株価は一日で二十二%下落したが、国の富の七十五%は人の中に有り、それは影響を受けていない』の言葉が今の日本の政治に生かされていない事が日本の将来を危うくしていると思います。

つまり国民が身に付けている知識・技能が有れば、株価など一時的に下落してもうろたえないで気にせずに働きなさいと言っていて、事実そのようになっています。

今の安倍首相の成長戦略はお金をジャブジャブにしインフレを促進して株価を上げて、大企業を優遇してそのおこぼれを庶民に昇給という形で反映すると言っていますが、大企業勤務の庶民は一握りで格差拡大が進むだけです。

最近の新聞記事にも有りましたが、日本の子供の貧困率は14.9%と高く所得配分政策が機能していないことが格差拡大と貧困連鎖を招いています。

そして教育への公的支出を抑え続けて国民総生産に占める教育費比率は先進国中で最下位です。

義務教育でも都道府県の財政力で格差が広がっている状況を考えると、今はもう教育の機会の平等は完全に崩れ去ろうとしています。

このまま進むとベッカー教授が言った、国の成長の土台となる国民が身に付けた知識や技能の総合力は確実に低下する方向に向ってしまいます。

国の成長戦略の一番の基本にすべきは『人材こそが国の財産』の意識で、今のような子育てのコストは親の責任にしていては少子化どころか? 貧困の連鎖で知識・技能の未熟な国民の増加に繋がって国富どころか? 犯罪の増加と無就労の増加で逆に社会的コストの増加に繋がってしまいます。

教育で人を育てることが経済成長に繋がるという考えは、国民一人ひとりの生身の人間について考える事と密接に繋がっています。

少子化と騒ぐ裏の本質には、日本の未来を背負う社会人に期待しているのではなく、高齢化した老人や企業が未来に利用できる若者の減少を嘆いているように私は感じてしまいます。

親の年収と子供の偏差値が比例していることが教育の機会の不平等を現わしていますが、このままでは少数の搾取する側と大多数の搾取される側に分離された社会になります。

しかし教育の怖い所は、教育を十分に受けないで社会へ出た人達がそのような教育の機会の不平等によって自分が搾取される側に置かれていることも知らずにいることです。

それは投票率に表れていて、社会を一番手っ取り早く変える方法は政治力だと知らないからです。

小泉前首相頃から政財官の癒着による制度変更が巧妙になり甘い言葉で弱者の心をくすぐり、気が付いたら弱者はより弱者になっている状況を作り出していますが、その甘い言葉を見抜けないことも教育を受けるという学びの不足です。

日本に生まれた子供達に社会人としての義務と責任を期待するなら、社会人として旅立つ前に身に付ける教育を貧富の差を越えた平等に近づけることが必須です。

それが長い目で見るとベッカー教授が言った、日本の若者達が社会や国際間で戦う為の最大の武器として教育から授かる知識と技能に繋がることになるからです。

若者に夢や活力がない社会では、老人は安心して暮らせるようにならない事をオレオレ詐欺などが証明しています。