区別による利他的行為。

誰もが寒々とした不安を抱えて生きているのが伝わってくる時代ですが、その不安の支えに誰もが金銭的な安定を求めても、人は人でしか癒されないことを忘れています。

特に働く世代では大企業への憧れや安定を求めていますが、そこにいる人達が抱えている不安やストレスを知りません。

大企業の合併増加の陰では、課長も部長も一人でよくなるので給料の高い一流大学出のリストラが進行しているのに、その場にいない一般の人達はその悲哀を知りません。

『鶏口となるも牛後となるなかれ』という言葉がありますが、例え牛の汚いケツでもしがみ付いていたい人達が多いほど企業にとっては都合が良く利用できます。

しかし牛の頭にいる人達は場所取りゲームの不安と闘うストレスから逃れられないので、しがみついている人達を自分の目的の手段として利用する悪循環に陥っているのが資本主義先進国の現状です。

中国のような共産主義的資本主義は強権的に力で格差を進めますが、民主的資本主義は民主的であるゆえに建前と本音を使い分ける為に複雑な偽善とイジメが蔓延しがちになって、鬱病や大麻汚染等の精神病の人達を増やしてしまいます。

医者・弁護士・公認会計士などの高給取りの人達の悩みや苦しみもなった人達しか知らず、そんな職業を捨てた人達(近年増加している)が高給を捨てた代わりに鶏口として手に入れているものは人間らしい生活ですが、高給を手に入れるために利己的に振る舞うことに平気な人と苦痛を伴う人では生き方が違ってきて当然です。

企業規模で所得水準がある程度決まっていますが、一部に規模はそこそこでも社員が人件費という経費ではなく、人材という企業にとって大切な必須なものと考えている経営者も稀ですがあります。

皮肉な見方をすれば、現代は鶏口を求める人が劇的に減少して、牛後でもしがみつきたい人達が激増したことも一因としてあると思います。

誰もが今の社会状況はおかしい? と思っていて安全な所で口にはしても、自らが何かをしても意味をなさないと諦めて捨て台詞で済ましているのが現状で多くみかけられます。

はっきり言うと孤独で孤立した人の増加が遠因で、人間は孤立すると理性と感情の豊かさを失います。

この理性と感情の劣化は被害妄想を生み攻撃的な人間に変えて行きますので右傾化や排外主義に向かう悪循環に陥ります。

私はもう戦後のような行政や政治に期待するマクロ的に社会を良くして行くことは無理な時代になっていると思います。

いつの時代もごく一部の人間がミクロの戦いを積み重ねて少しづつ社会を良くしてきたように、この現状の反対に家族や地域社会や仕事の中で利己的の対極に存在する利他的に振る舞い支え合う地味で愚直な方法以外にないように思っています。

引き籠りや不登校や鬱病による退社に陥っている人達ほど実は感受性が豊かな人が多く、社会の異常への敏感な反応ではないか? と私は時々思います。

しかし現状はそんな人達を負け犬のように恥と考えて家族も隠していますが、まず隠すような行為を止め『あなたは私達にとってかけがえのない存在』である事を判ってもらう所から始めないと立ち上がる意欲に繋がらないと思います。

いつの時代も社会は様々な問題を抱えていて、いつも弱者へのしわ寄せを強いていますが、利他的な行為も受け入れてくれるような人と、受け入れない人とを区別しないと強制と勘違いされ攻撃される危険も考慮しないといけない時代です。

グローバル化とデフレの進行が複雑に絡み合った糸のように簡単には解決できない問題を全ての世代に背負わせてしまい、誰もが自分のことで精一杯な社会になってしまいましたが、こんな時ほど身近な人に身近なことから自分にできることをする人を少しづつ増やす以外に道はないと思います。