まだもらっていない悲しみ。

引きこもりや無気力からの無就労増加が高齢化社会の進行と重なり、労働環境の多様化で若者の労働人口が低下して貧困層増大の悪循環になっています。

問題解決には様々アプローチが必要ですが、引きこもりと無気力に絞って考えることが家庭崩壊を防ぐうえで何処の家庭にとっても一番大きなテーマになります。

逆説的に考えると、力強い生きる力はどのようにして生まれてくるのか? と考えることが問題解決の糸口になります。

動物も人間も生きる力を元々持って生まれてきているのですが、弱者として状況の時期に親の自己犠牲的無償の愛をどれだけもらったか? が一番大きな要素を占めていると思います。

芸能人(特に女優など)の子供にお金も含めて不自由なく育った良い大人が覚醒剤などに手を出して逮捕されていますが、この人達は両親から肉体的自己犠牲を通じた愛を受け取っていないのです。

衣食住は過剰なほど贅沢なもので育っても、母が下ごしらえから子供の為に料理を作ってくれる時間的行為を見て、父親が自分の面子を潰しても子供の為に付き合う時間や謝罪を見て育っていない場合が多いと思います。

今はなんでもお金で代行でき、料理も家政婦さんの方が美味しいかもしれませんが、たとえ不味くても子供は親の自己犠牲的行為を求め自分への愛を確認しています。

動物の中では人間だけが物や行為の贈与を受けると返礼したくなるものを持っているそうです。

特に相手の自己犠牲を伴う行為には感銘を受けて愛を感じますが、この愛を多く受け取ることが生きる力の原動力になって行きます。

幼児期にこのような愛を受け取れずに育つと、いくら物で満たされても心が空洞化して行き、愛を返礼する生きる力に結びついて行かないのでは? と思います。

この返礼したいという気持ちの源が生きる力と思います。 

貧乏で夜なべをして手袋を編んでくれた、子供がまだ寝ている朝早くに畑仕事に行って新鮮な野菜料理を作ってくれた事を知って大人になり自分もやがて親になった時、老いたそんな両親への気持ちは愛しさと感謝です。

親になった時は子供の時の気持ちを忘れて、手抜きをしても忙しいからと弁解で済ます人達が多いのですが、感受性が敏感な引きこもりの人達は『子供として親からまだもらっていない』という感情を越えられないので、大人になりきれずに苦しんでいるのです。

親という字は立木の横で守ると書くように、子供が不安で振り返った時、いつも親が見守っていてくれる状況を指していますが、精神的依存期間に十分もらった子供は簡単に自立して行きます。

引きこもりや自立できない子供への解決法は、親としての謝罪しかなく、親の謝罪が凍結した生きる力を解凍する手助けになります。

『親がなんで子供に謝罪をしなければならない』と言う人がいますが、子供は生まれることも・親も選択できずに生まれて来ていて、子供を作った親には義務と責任があるのです。

どんな人間でも自分のルーツである母や父に愛されたという実感を心の拠り所にして自分自身の存在を維持しています。

愛されたことが自分が生まれて来ても良かった人間なんだと確認しているように、必要とされることで自分自身の価値を確認している悲しさを人間は誰もが持っています。

私も妻と娘達と長年のお客様から必要とされることでやっと維持しています。