お母さんは今日も素敵です。

春も近づいて来ましたが、遅々として進まずの状況ですが閉店後の徘徊も汗をかく時もあり、冬も残りわずかになりました。

帰宅し『ただいまー』と言うと、夕食の用意をしながら妻に『お帰り、今日も偉かったね』と褒められると、幾つになっても嬉しいものです。 

お互いに五十を過ぎた頃から、勘違いや物忘れなどの、気が付くと本人も驚くような老化現象が出始めてから、子供に戻って行くのだからお互いを褒め合って行こうと決め、特に私は褒められたら伸びるタイプなの、とお願いしてから最後の言葉に『偉かったね』が付くようになりました。 

それ以来私は、女房がおかしな事を言ったり・した時は『お母さん素敵ー』と褒めて馬鹿にするのが決まり文句になっています。 

この言葉を聞いて、理由が判らない時は真剣な顔で何をやってしまったか? 考えていますが、その間も楽しいものです。 

不器用な女房も最近はすっかり身に付き、私に『お父さん素敵ー』と優越感に浸りながら、私を公然と躊躇なく馬鹿に出来るのを愉しんでいます。 

こんなやりとりを知っている娘に一番褒められたメールが、珍しく女房が夏風邪をひいた時、心配してメールが来た時の返信です。  

件名・お母さん 『お母さんは今日も素敵でーす。朝食時に鼻にツッペをして、くしゃみをしました。 ツッペは勢いよく飛んで行きましたので大丈夫です。 卓球は休み、ただ今眠っていますのでご安心を。お母さんは本当に素敵でーす。』以上近況報告でした。 

会社で友達と昼食時に見て、笑いが止まらず困ったけど、最高の出来と褒められました。

ちなみに不本意ながらの謝罪は、大声で怒鳴るように顔の近くで『ごめんなさいねー』で、お互いの返答はやはり大声で怒鳴って『とんでもないですよー』ですが、そんなやりとりで何が原因か? すっかり忘れてしまいます。   

人は判りあう為に喧嘩や議論も大切ですが『こういう人なんだ』と分かり合えた者同士の日常は、何事も褒め言葉で済ますほうが得策で、逆に良い効果も有ります。