人を見る目と見識。

長年店頭にいて最近は『人を見る眼』を持っている人の減少に危機を覚えます。 

死語に近い『見識の高い人』とは、普通の人には見えないものが見える人の事ですが『ある人のこれまでした事で、その人のこれからする事をある程度予測できる』能力です。 

知識は覚えることですが、見識とは沢山の見えるものの蓄積を繋ぎ合わせて見えないものを推測する直感みたいなもので・・・言行一致か不一致か・消費行動が心を豊かにする無形のものか所有欲か・言葉使いや弱者への態度はどうか・家やその廻りの様子・服装・車などの所有物が分相応か不相応か・生活習慣や食習慣等々・・で人間を総合的に判断する能力は、生きる辛苦の中で培われた知恵の集積が必要のように思います。 

人の過去から現在までを見て未来を予測できる『人を見る眼』は、将来の災いを防ぐ知恵にも繋がっています。 

私の友人ですが服装も部屋も汚いのですが、その他のもの全ての総合で、人間としては非常に信頼しています。 

お金万能の社会は地位や経歴や学閥で人を判断する傾向にあり、見識等を高めても社会的には評価されず、家庭でも学校でも企業でもその必要性を現代人は考慮していない傾向があります。 

知識と知性は別もので、知識は鵜飼の鵜のように丸呑みして吐き出したもので、知性は知識を咀嚼し消化して血肉に取り込み人間性として身に付けたものです。 

メディアは結果のみを集中報道で持ち上げタイガー・ウッズみたいに人格を破壊し、別角度からの報道は皆無に近い洗脳報道で、情報受信者は丸呑みで咀嚼しない人の増加は危機的です。 

混迷の時代に一番必須なものは実は『見識』です。