躾と虐待の違い。

幼児や児童虐待の報道の陰には、もっと沢山のネグレクトが日本中に潜んでると思いますが、逮捕者全員の言い訳が『躾のため』という弁解です。

私の子供の躾の基本は少しの毒を薬に使うことでした。 

例としては、帰宅した時は手洗いうがいをと言っても強制はしませんが、子供の頃の娘の返事は『面倒くさいー』でした。

その代りの楽しみが私には待っていて、娘が風邪をひいて寝込んで一番辛そうな時に『大丈夫?』と労わり頭を撫ぜながら『でもしょうがないね、言う事を聞かないのだから』と毒を吐きます。 

『どうして』と聞くので『手洗いうがいをしないから』と言うと『手洗いうがいをすると絶対風邪をひかない?』と聞きます。  

『絶対はないけど、確率は低くなる』と話し、早く元気になるようにゆっくり寝なさいと特別優しくしてやります。 

元気になってから忘れていても、優しく呪文のように繰り返すだけで、そのうち風邪の時に、また毒を吐きます。 

何事も自分でその気にならないと身に付きませんので、身に付くのをひたすら待つ根気比べみたいなものです。 

ヒントは毒を持ったマムシやサソリのアルコール漬けで、沢山の愛情というアルコールに少量の毒を入れる事で滋養強壮の薬が出来上がる論理に似ています。 

勉強も小学校三年生の時に『毎日遊んで、勉強ができるようになる方法ある?』と聞かれ『あるよ』と言うと『今夜の寝る時お話それね』と遊びに行こうとしたので『どうして勉強できるようになりたいの?』と聞くと『勉強できる子を先生が可愛がるから』と言ったので『そういう不純な動機の方が長続きするからいい』と答え、その夜に一時間ほど方法を話しました。

拘束されている授業中に集中して覚えてしまう習慣にすれば集中力と忍耐力が身に付き、後は遊ぶ時間や趣味として全部自分の時間として楽しめるよ! 『社会の成績が悪いあなたは、授業中聞いていないから』と言うと『どうして判るの? 先生に隠れて友達と話してる』と言っていました。

お父さんは意志が弱く駄目だったけど、中学時代の友人はその方法で趣味も多く東大に行ったと話しました。 

傷ついてダメージのある時や動機が不純でも意欲が芽生えた時に、正直に核心を突いた言葉(毒)を軽く吐き、あとは自分でどうするか? 決断を委ねることです。

そして自分で決めた事が習慣になり自分で健康管理をしている時や、知的好奇心から知らない事を知る喜びを知って楽しそうな時には心から褒めます。 

妻も娘も、私がどのへんで毒を吐きそうか? タイミングが読めるようになると、習慣になっていました。 

『身に付けたものが美しい』のが躾ですが、普段はただひたすら愛し、毒は適切な時に少量投与し、じっくり時間をかけて沁み込ませる漢方薬みたいなものです。

虐待のような強制や支配や命令を伴うものは、決して躾ではないことをという字が現わしています。