親を乗り越える。

十年ほど前から娘に『お父さんよりお母さんが偉い』と言われ続けております。

理由は『私はあなたの文化で育ったから理解出来るけど、違う文化で育ったお母さんがお父さんみたいな人を理解するまでの忍耐をやっと判ったから』と言いました。 

子供の頃から私から離れず、何か有ると私にばかり話していた娘の一番の心配はファザコンだったので、そう言われてから安堵と共に嬉しくなっています。 

思春期の高校時代の母親批判は痛烈で『私が空の弁当箱を持ってお母さんご馳走様』と言って毎回渡しても、お母さんは『毎日お弁当を作るのは大変なの』と必ず言う、『あんな事を言われるなら自分で作った方がいい、店も手伝わせずに主婦だけさせている私から注意して』、と言われました。 

『自分で言えば』と言うと『子供からは言えないでしょう』と言うので、思案して娘に頭を下げ『ごめんね、お父さんからも言えない』と言うと怪訝な顔をしているので、お母さんは食べ物も人間も好き嫌いの激しいお父さんの為に主婦の仕事だけで精一杯な人で『そんなお母さんを選んだ責任が私には有るから』と言うと、しばらく黙り込み『選んだ方の責任か』と言って二階へ行きました。 

その後、選んだ方の責任を考えると恋愛も簡単には出来ないなと、言っていた娘が大人になって、妻として母として主婦としての全体像で母親を眺められるようになり、女としてその対称軸にいる私を眺めてみて『この男は大変だわ』と思ったのでしょう。 

子供として親を下から眺めて育ち、成長して親を上からも眺められるようになり、意外に実像は小さかったんだと実感した小学校の校庭のように親を確認した時、子供はひとり立ちした大人になっています。