自由ほど不自由なものはない。

高度成長以後の親世代が子供を成熟させない育て方をしてきたのではないか? と最近思います。

五年程前の英国女性殺害犯市橋容疑者逮捕の記事を読んだ時も痛切に感じたのですが、豊かな両親ほど『子供の人生にレールをひき』手間とお金をつぎ込みますが、そこには子供による選択と決断が省略されています。

十五年前に娘が東京の大学に旅立つ前日の夕方、私の所に来て言っておきたい事がある『友人の親のように勉強しろも含めうるさく言わず、自分で決めなさいと育てられたけど、親に決められた方がどれほど楽だったか? 自由ほど不自由なものはなかった』と言われました。

唖然として、でも『これからの人生もあなたが決断して、それに伴う責任を取っていかなければならない、その訓練みたいなものが必要と思って』と言いました。

『そんなことは判っている、でもこれだけは言っておきたかった』と言ったので、明日東京に行くけれどお願いがあります、『東京へ行き親の手から離れるのを機会に、大学での勉強より大切な男の勉強も恋愛を通してするように、男次第で女の人生は変わるから』と言い、その前にこの本を読んでねとフロムの本を渡しました。

犯人市橋の両親は共に医者で、大学卒業後から犯行までの二年間も大金を送金していたそうですが、そんな記事を読んでいる時には彼も犠牲者のような気がしました。

彼が自分の人生の中で『全ての決断を自分でした』のは殺害して逃走を始めた時が初めてだったのではないか? と思うと胸が痛みました。

生き延びる為に隠れて自分で働き、最初は自分で整形をし・無人島へ行き・あらゆる手段を考えて逃走した選択と決断の二年間が彼を人間として成熟に導いた皮肉です。

子供に残せるものなど何もなく、唯一あるとすれば野生動物の親のように生き延びる為の武器として『知識を知恵に、伴侶や友人の協力を得られるような人間性』だけですが、そこへ導くのに一番必須なものが、岐路に立たされた時の選択と決断です。

そして誰もが求めている生きている実感は、自らの選択と決断を通じてしか獲得できないのでは? と私は思っています。

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