生きづらい世の中。

今の生き辛い世相の実態は『個人の能力や努力で未来を展望できない無力感』が社会に蔓延している事ですが、就職氷河期の就活で社会の不条理を思い知らされた娘が三十二歳になり、その頃から娘を見守り続け、早々に内定を決めた娘の友人達十年間の現況も含めて、私が感じることは『採否の基準が曖昧で、お前の代りはいくらでもいる』という脅しが蔓延した企業と社会の異常さです。 

高度成長の頃は英語ができてパソコンが少しでも使えれば商社等でも西欧先進国への海外赴任で、高給取りが約束されました。

この英語・パソコンを含めた偏差値を上げるという明確な規格化が進んだ為に、企業にとっては代替可能な若者が量産されることに繋がりました。 

バブル崩壊後はこれに長時間労働に耐えられる頑強な体と精神力をも強いることを加え、上司の査定に怯えるまでに人を追い込んで鬱病や自殺を増やして行ったと思います。 

人を金儲けの手段に使い、消耗品の乾電池のように取り替えて自分達の目的に利用し、マスコミも事件になるまで利益という業績だけで企業を賞賛します。 

私の店でも『あなたの店で買ってあげる』的な雰囲気で、相対的優位に立ちたがる人達もいて、店も『換えのきく使い捨て』と思い込ませ怯えさせる人の増加が罪の意識を希薄にします。 

サラリーマン経営者の増加も原因ですが、人の能力がまちまちだった昔は、異能な人に敬意を持ち連帯できましたが、規格化された者同士は競争相手になり連帯も出来ません。 

雇用と人間関係を劣悪にするグローバル化より、物の豊かさを犠牲にしても、幸福度九十五%のブータンの様に『身近な人に大切にされる』が家庭や会社での幸福実感の基本です。