出来ない事を引き受ける。

核家族化と高度成長のひずみか? 『子供への期待・要求が際限なく肥大している』言動を目にするのが多く、運動や勉強や人間性(自分の事は棚に上げて)についてなど良かれと思い言っているのですが、親は無意識に子供に対して自分の理想像を求めています。 

しかし人間は何事も自らが求めやろうと思ったことしか身に付かないことを忘れています。 

お金は邪魔にならないし無いより有る方が良いに似て、子供にも何事もできないより出来た方が良いと思っていますが、その反作用は考えていません。

私は逆に娘にも女房にも『頑張らないで』と囁くのが常で、少しいい加減の方が継続できて良いと勧めます。 

娘には希望することは手に入れる努力の方法を教えましたが、小学校の五年生の時にバスケットを上手くなりたい趣旨を頼まれた時『あなたに球技は向いていないので諦めた方がいい、苦手な事の克服より得意なことを伸ばした方が楽しいし、武器になると思う』と言ったことがあります。 

それは長年見て向いてないと実感していた事と、短い親指は力が有り、長い中指は逆に力が無いに似て短所と長所は裏表です。 

子供には出来ないことも引き受けて、生きていく力を育てる事の方が大切と思います。 

成功体験より挫折の方が多いのが人生で、子供の頃に出来ない事のひとつや二つあった方が良いと思います。

悔しかったり、悲しかったり、恥ずかしかったりの感情を味わって学ぶ事の中で、それでも気持ちを切り替えて前向きに生きる事が必要です。 

人が持っている同じもの全てを望む欲望を押さえ、得るものと諦めるものを選択し、断念をして生きていく力はもっと大切です。 

そんな力を子供に育むのも親の大切な役割と思います。