無人島で高級車に乗る。

格差が進んで同じ機能や食事でも差別化され、少数の高額品購入者と大多数の格安品購入者の合計が同額です。 

アダム・スミスの『人が優越したいという欲求は、他人に敬意を表される事に幸福を感じ満足するからで、競争心の根源はそれである』というような言葉があります。 

家も車も時計でも機能的な満足ではなく、見た目から判断できる高額品所有で、他人からの感嘆を求めている事が根にあります。 

しかし精神的に成熟した人や愛され満たされて育った人は、物には機能を主に求めていて、五感を満たすささやかな美味しい・綺麗(絵画や景色)・芸術鑑賞等の感情(厳密には官能)を豊かにする形に残らないものを消費する傾向を感じます。 

つまり他人からどう見られるか? という事に配慮して努力する傾向がないのが特徴です。 

私はスミスのこの『道徳感情論』を読むまでこのような傾向があり(少し残っている)、頭と体が熱くなったのを覚えていますが、人は知られたくない・認めたくない自身の真実に出会うと逆上する事を実感したのを鮮明に覚えています。 資本主義の成熟と共にテレビ・マスコミでは、このような自己顕示的傾向が強い番組や記事が増えています。

マスコミも資本主義化して、大衆の心の中に波風を立てることが売上げに繋がる(女性週刊誌など)ので、人の幸せを見て自分の不幸を確認させるか? 

人の不幸を見て自分の幸せを確認させるのが常套手段で、これが資本主義を加速させた源泉です。 

綺麗な夕日や景色・映画・旬の食材の美味しさなどの感動の心や人からの思いやりは、それだけで心が満たされますが、物の所有を基準にした視点ではすぐ飽きて次の商品が欲しくなり、また喉が渇く悲しい連鎖です。

以上・・・負け犬の遠吠えでした。