新しい幸せの形。

新聞に若者の堅実な貯蓄生活ぶりの記事が有り、縮小していく経済不安の中で若者が生き抜く大変さに敬意と謝罪の気持ちで一杯になります。 

これからは、私達の高度成長時とは違う『新しい幸せの形』があるように感じています。 

物の豊かさや地位やお金のような目に見える『幸せの形』ではなく、家族や友人・知人と肌でお互いに感じられる思いやりみたいなものを共感できる生活を積み上げて行く毎日を『幸せの形』にしていく時代を迎えているように思います。

産業革命時の工場労働者を見たマックスウエーバーの言葉を想い出すのですが『嫌なことに我慢しても、お金が欲しいというのは、欲望の形態としては変態ではないか』と言った時が資本主義の始まりで、高度成長時にはこんなことがずーっと続くと思っていた日本人が失ったものを取り戻すのが、若いこれからの人達の使命ではないか? と思っています。 人は何かを手に入れると、何かを失っています・・・それが私達の世代では、金と物を手に入れた代わりに思いやりを失ってエゴを肥大させた責任があると思います。 

それは餓死した人が出てもおかしくなかった終戦後の物不足の時に、持てる者が持っていることに『疚しさ』を覚え、持っていない者へ分け与えることに繋がったように、資本家が有利にできている資本主義社会の欠点を修正するには、資本家が過剰に持っていることに対して搾取への疚しさを覚えるような社会的雰囲気を、時間をかけて醸成していく他に術はありません。 

絵空事に聞こえるかもしれませんが、間違いを繰り返しながらも進歩・改善されてきた人間の歴史を信じてもいいのではないか? と思って若者を応援して行きたと思います。