蟻と蜂。

加齢と共に甥や姪が結婚するようになり、お祝いと共に同封する手紙を書く時、違った文化で育った者の同居生活の中で起こる『文化の摩擦』を経験した者として、相手の文化を受け入れると自分の文化も受け入れてくれると言いたくなりますが、お互いに『こういう人なんだ』と理解出来るまでに相応の時間がかかりますので、結局自分の失敗談になります。  雪ハネやゴミ出しなど些細な事も最初に動く時には『ずーっと続ける』覚悟が必要で、後で不平を言う位ならやらないで『じーっと我慢して』相手が動いた後に褒める賢者の知恵が必要と理解できたのは最近です。 

昔読んだ本に働き蜂や蟻の中で本当に働いているのは二割だそうで、後の八割は働いているふりだそうです。 

しかしこの二割と八割を分離すると、どちらもまた二割が必死に働いて八割は働いたふりの生活になるそうです。 

『必要悪』と言う言葉がありますが、動物が社会生活を営む上に必要なシステムなのでは? と言う気がします。 

全員が頑張ると、その家や組織や社会の息が詰まってしまうような・・・余裕の不足が自爆に繋がるのを防いでいるような何かが有るように思います。 

頑張っている人があまり頑張れない人に感謝される事で、自分の存在意義を確認している部分は人間にも有ります。 

負担や役割の違いを越えてお互いを認め合っている構造がある蟻と蜂の社会で、働いているふりをしている八割が果たしている役割が解れば、知恵を拝借して自分の家庭生活に上手く役立てたい気持ちです。