娘の結婚。

娘が結婚した時は、全て二人で賄い企画する事に従い親族招待も限られ、友人・知人の五十人程で行い、私達は操り人形のように動いているうちに終了しました。 

婿さんから娘を頂きたい趣旨の言葉を告げられた時は返事を遮り、娘に『私達より彼を大切にする自信が有る?』と尋ね、娘が『はい大丈夫』と言うので、『熨斗をつけて、お渡しします』と返答し整いました。 

私は彼の言葉とは裏腹な人間性に惚れていたので、三年間の同棲中も『もし別れたら、お互いにとって不幸』と妻に言っていました。

娘は初妊娠が子宮外妊娠だった翌年の七年目にできた一人娘で、『貴方達で育ててごらん』と親として試され授かった気持ちを持ったのを覚えています。

娘を親の所有物と考えず支配や命令をしないように、自我と人格を尊重して育て、娘の求めにはいつも心を開いても、人間として成熟させる為に『子供時代は娘のその時の価値観を否定する』矛盾した親に徹し、『矛盾を理解しないと本当の大人になれない』と囁きながら、愛情と躾の境界線を綱渡りで育ててきましたが、本当は私達が育てられていました。 結婚式の栞に私の事を『私の考え方の大部分を作った人です』と書いてあったのを見て、娘の人間形成に介入し過ぎた? と胸が痛み、妻に言うと『それがあなたなの』と怒られ、娘にお詫びのメールをしました。 

返信に『影響を受けた事を感謝した意味で、そのお陰で彼に会えて結婚でき、私と手を組んで入場の時、彼が見えて本当に嬉しくて泣いた』と有り、娘を授けてくれた善意に報いることができた安堵と、娘を彼に確実にパスできた事を実感しました。 

人間の幸せと不幸の数は一緒ですがどちらを大きくしてどちらを小さくする人生になるか? は二人の人間性と、お互いの思いやり次第と見守っています。