真理は矛盾の中に。

私の言動には矛盾した点が多く、娘を育てている間に『お父さんの言う事は矛盾している』とよく言われました。 

娘が社会人になる時には『会社の奴隷になってまで働かないで、辛い時は逃げて来なさい、食わすくらいはします』と言ったのは、頑張りすぎて体を壊したり鬱病などの精神病になって欲しくないからです。 

偉くなる為や給料を多く貰う為に働くのではなく、自分自身の生活を維持する為の手段として最低限のお金が必要だから働いているのです。 

現代人はお金が目的になっている人が多く、そのお金目的の為に他人を手段として使うのが普通になっています。 

娘が勤めて二年位の時、趣味のサルサダンスに嵌まって朝帰りが続きましたが、もう大人なので黙っていました。 

しかし嘘の病気で遅刻が三日連続の日には堪忍袋の緒が切れて、寝ている娘を凝視していると気配に気付き『何』と言うので、『会社の奴隷になるなとは言ったけれど、従業員として最低限の誠意を持って働きなさい。親の家にいて生活の基盤への不安がないから、そんな事が平気で出来る』と言って部屋を出ました。 

その一月後の夕食時に家を出て自活する趣旨を申し出たので、引越しの金銭的援助を確認すると、大丈夫と言うので了承しました。 

お互いにわだかまりもなく、引越しの手伝いをして済みましたが、まだ給料は安く奨学金の返済も自分ですると言っていたので金銭的苦労は大変のようでしたが、支援要請はなかったので娘の意地を尊重し見守っていました。

その1年後位にに少し楽になってから『この1年は1日200円の食費生活だった』と言っていましたが、その経験から得たものはその後の人生にとって貴重だったと思います。 

会社の奴隷にならず、報酬への誠意を持った労働を心がけるという矛盾の理解、手段と目的を区別して自分の人生を豊かにする自覚、このような矛盾の紙一重の隙間に大切な真理が存在します。 

こんな意識での働き方の継続が『お前の代わりはいない』と思わせることに繋がるのではないか? と私は思っています。