母の日の出来事。

毎年母の日に娘達から送られるカーネーションの鉢植えは二週間で終わっていましたが、妻が今年の花は『繊細で感受性が特に敏感なお父さんが店に置いて管理してみて』と私を試すように言いました。 

理由は『大雑把で花より団子のお母さんだから、団子が良いと私が二人に言ってあげる』と言ったことへの皮肉のお返しが本音でした。

花の手入れは子育てと一緒で、いつも見守ってはいても少し薄情な状況にして、本当に求めている時期まで水を与えないようにしないと、やりすぎは根腐れを起こします。 

子供を甘やかして駄目にするように、求めているタイミングまでの我慢と、かけがえのない存在と自覚できるような愛情を与える事も心の成長には必須ですが、草花にとっては午前中の優しい太陽の日差しが親の慈愛に似た役目を果たすと思います。 

次に咲き終りに近づいた花は摘んであげて、次の蕾が咲く為の体力維持に繋げますが、これは成長を妨げる悪いものを摘み取る躾と同じです。 

いつも見守る中での配慮は正直なもので、花の数は減っても次から次と蕾が咲き二ヶ月以上綺麗に咲き続けましたが、妻の『店の温度が花に合っている』の一言で終わりでした。 林芙美子の詩『花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり』は人の一生を詠っていますが、生きていれば良いこともあるとの励ましです。

私が子育て中の時に、沖縄出身の歌手が歌っていた『花』という題名の歌詞に共鳴したのが忘れられません。 

うる覚えですが『人は流れて何処~行くの・・・・泣きなさい、笑いなさい・・・・人として人として咲かせてあげよう』この最後の歌詞が、親として娘への大切な役目として心掛けた事を想い出して、カーネションの蕾を花として咲かせましたが、果たして今年はどうなるか? 楽しみです。