成熟とは?

最近のマスコミは一面的な報道が増え、その影響か国民全体も未成熟な傾向になって来ているような気がします。

人は複雑なもので、寛容な部分と狭量な所も併せ持っていて、卑しさと気高さ・優しさと凶暴さ・軽率さと熟慮・勇敢さと臆病な部分などが有り、その強弱の違いが実はその人の人間性や個性になっています。 

最近の傾向として、人の一部分だけを拡大解釈して『信念のある人』などと安易に納得する傾向が日本人全体の成熟を妨げているように思います。 

人は自分自身の中にあるこの複雑に絡み合い入り混じっている心の葛藤を重ね苦しむことでしか成熟できないのではないか? と私は思っています。 

相反する狭間で心がゆらいでいる状況の不安に耐えて決断するまでの時間が、自分自身を見つめることに繋がり、その過程で相手を思いやる配慮も一緒に考えています。 

私の仕事の場合、良い物を売るという行為には面倒な手間が有りますが、楽をしたいという気持ちとの葛藤を乗り越えないと社会やお客様は認めてくれません。

勉強も家事も仕事も同じで、社会生活の中では誰もがその困難な義務を引き受けることでしか人間は人間的になれないのだと思います。 

人間が美しいと感じるものには『ゆらぎ(揺らぎ)』があるという学説があり、蛍や星や蝋燭の揺れる火など巨視的には一定でも微視的には平均値と小さなズレがあるものを人間は美しいと感じているそうです。 

人間的成熟も自身の心乱れる繰り返しの中で、自分の中にある小さなズレを自覚することを積み重ねて行くことでしか得られないのでは?  

『これでいいかな?』と思う不安を引き受ける積み重ねの中で決断し、その結果の失敗や成功の体験からの学びを通してからしか成熟へ近づけない気がします。 

そんな積み重ねを長く続けると、勤勉と邪悪のわずかなズレの『ゆらぎ』も楽しめるような気がします。