家庭内暴力。

少子高齢化や社会構造の制度疲労による事件事故など、様々な意味で時代の転換期を店頭にいて感じた昨年の一年でした。 

四十年近い商いの間、お世話になったお客様が高齢化を迎え、様々な環境の変化を見て聞いて胸に沁みる毎日でした。 人は一人で生まれて来て、一人で死んで行くものと頭で解っていても、沢山の家族の為に奮闘して輝いていた時期を知っている人の寂しさを見守って行く辛さが続く毎日に、これからは私も覚悟が必要です。 

なるべく他愛の無い笑いを誘う話題で明るくなって戴くように心がけておりますが『あー久しぶりに笑った』と笑みを浮かべて帰るお客様を見送る難しさを、最近は感じています。 二年程前、二十年近くご来店のお客様に『私離婚したの』と突然告白され戸惑っていると、二人の子供が社会人になるまでと心に決め、ご主人の暴力に耐えていた、これからは掃除の仕事で細々でも心休まる生活が出来ると話、あなたの冗談にはいつも救われていたと言われました。

この人のご主人様もそうだったと言っていましたが、家庭内暴力をする人は社会や会社などで自己実現をできず、どちらかというと支配・命令される立場で生きている人達が圧倒的多数です。

その劣等感に耐えて組織や社会で過ごす反動が、家庭という密室で逆の立場で君臨することでしか消化できない悲しさを背負って生きている人達です。

親類などに説諭されてる時は、従順で『二度としません』と誓っても直らない一種の精神的な病です。

その人の男の子は自立できるまで我慢し、高校を卒業してから家を離れてから一度も帰宅していないと言っていましたが、『その方が逞しく成長すると思う』と言うと安心していました。 

遠くなった今も来店して、仕事の後の美味しいお茶やコーヒーを飲むのが楽しみと言いながら談笑していきます。 

五十を過ぎたら、この方のように不足を羨まず、今有るものに感謝して生きる人が増えたら日本もいい国になると思います。 

お金の為に人としての良心を失った事件に触れるたびに、人はたいそうな者になる為に生まれて来たのではなく、ささやかでも幸せになる為に生まれて来たので、一に健康、二に大切な人への思いやり、三にその生活を支えるお金を大切にと言うと、『そうだねー、また来る』と微笑み帰宅しましたが、その後はいつもの冗談の会話で過ごすようにしています。