労働への敬意。

十数年程前に店舗併用住宅の返済を終えた時、妻に『好きな人だけの為に商売させて』とお願いし了承してもらいました。 

より美味しいものを販売する為に、閉店後の深夜の労働も含めた多くを無償にして原価率を上げて、定価を下げる販売を心がけて来ました。 

しかし見えないこの行為に理解もなく『買ってあげる』の雰囲気の人に多く接すると気持ちが萎え、良心的にという思いが強い分だけ怒りが込み上げ不愉快で、無償行為の仕事をしている時『そんな人を想い出す』と大変なストレスでした。

家で夫が『誰がお前達を食わしている』と凄む気持ちに似た所が有り、妻も『料理・洗濯・掃除を無償でしている身になって』と言う愚痴も実は同じです。 

仕事をしながら考えて思うに、どちらも俺の私の代わりにやってくれと言っているのではなく、本当に言いたい中身は自分達の日常の行為に対して、その恩恵を受けている人達から敬意が感じられないことへの苛立ちだと思います。 

特に自己犠牲的な行為では、その恩恵を受けている人達が敬意を持ってくれると強烈な快感を覚え、喜んでその行為が出来るのは人間だけが持つ特性です。 

いつも私が夜間の仕事をする時、価値観を理解し感謝して買ってくれるお客様達を思い浮かべて仕事をするのはその為でした。 

女房は『あなたの個性と癖は手に負えないし、病気になっても困るから好きにしたら』と言ってくれたので、収入より人生を楽しみたいと思いました。 

本当のお金持ちになった人は理解できると思いますが、大人も子供も・男も女も労働への対価が多いことより、その人にとってかけがえのない人に敬意を持たれる事の方が唯一無二の自分の存在を確認できる一番の喜びです。 

夫の常套句と妻の愚痴は、実はお互いに自分への敬意を求める心の叫びなのです。

しかし私の場合は家族のような無償行為ではなく、少なくても利益を戴きその報酬で私達が生活している事と、ここまで来て下さるお客様の行為への敬意は? と数年して気が付きました。

議論に伴う責任に似たような、利益に伴う責任です。

昔のサントリーの佐治敬三さんという社長が社員にいつも言っていた『やってみなはれ』で、本当に何事も実行してみないと判らないことの教訓です。