煩わしい他者。

時代と共に変わる常識に戸惑う連続の此の頃です。 

男は地位と名誉に付随した収入を求めて、女は『仕事と私のどっちが大事なの!』と詰問したのは遠い過去の事で、今は肉食女子が男の価値は収入と見てくれ優先で、愛などより収入を求めているのが常識です。 

男は収入を、女は愛を求めることで均衡がとれ家庭が円満だったのは過去の事です。 

草食男子の多い昨今は、程々の収入で程々の人生を送られればと考えている男が増え、これはこれで健全ではないか? と私は思うのですが、肉食女子が男の価値を収入だけに求めて尻を叩けば家庭円満とはいかず、離婚率の増加に繋がります。 

昔は男に誇示的消費の傾向が強く、女は享楽的消費が多かったのですが、最近は女子が誇示的・享楽的の両方を求め、不況で満足させられない男が困惑して諦め、その為に非婚を選択している男子が急増している実態もあります。 

貧しくても家族が住み良い家庭作りを目指して互いを思いやり、分をわきまえて他人と同じ欲望に感染しない生き方ができた時代も過去の事です。 

過剰に欲望を刺激する情報氾濫社会では求めるものが多い他者との共生は難しく、一人でなければ生きられない人の増加を弱者である老人や若者に強いている時代になり、孤独死や未婚者の増加や無差別的な犯罪に繋がる鬱病・引き篭もり・未就労の促進です。 

そんな問題の根源にあるものは『一人では生きられない』生き物であることを忘れさせた『お金万能社会』の中で刷り込まれた現代人の意識の奥底にあります。 

現代は煩わしい他者への配慮より、お金さえあれば生きていけると思う精神病理ですが、他者とは煩わしいものですが人生に必須のものと受け入れることが健全と私は思うのですが? 

そんな煩わしさを受け入れた人が、自分も受け入れられて人生が豊かになります。