粘り強い思考。

今年も年末を迎えましたが、豊かな社会は生活を便利にしましたが人の心も豊かにしてくれたのか? 疑問の出来事の毎日です。 

最近の風潮を思うとコツコツと努力を重ねた実質的なものは評価されず、単純で空虚なものほど熱狂する傾向を感じます。 

小泉前首相が異常な支持を集めたのも、現代人が豊かな生活の中で捨ててしまった粘り強い思考や行為と思うと納得できます。 

物の豊かさは家族や地域や会社内の絆を弱め、その不安を埋める様に物の消費に走り、物質的に満たされて行くほど精神的な空虚が広がる悪循環の結果が、現代社会の鬱病と自殺と犯罪の劇場化の増加傾向です。

貧しくても、自分をかけがえのない存在と自覚できる絆で結ばれていた時代、鬱病はもとより自殺は格段に少なかったのです。

人間関係が希薄化した都会に住む人達ほど、そんな危険と近くにいるように思います。  

テレビも雑誌もセレブの特集記事と、ニートやイジメの報道を煽っていますが、勝者か敗者の二極化の社会に怖さを感じます。 

勝者だったホリエモンは一転して敗者に、その前はニートだったとの報道を聞いた時、コインの裏表の社会になった今の社会を生き抜く若者の辛さと難しさを思いました。 

たとえ景気拡大したとしても、底辺で働いている人には還元されず、本来家計に入るべき金利はゼロにして銀行や大企業に移転され、その恩恵は一部の特権階級では、抑圧された人達は犯罪か? 病です。 

消費社会の誘惑に翻弄されない、分をわきまえた粘り強い思考で近代にふさわしい新しい生き方が必要な時期になったようです。