個食・孤食。

店頭で感じる世代の断絶は、どの世代も一方通行で他の世代の批判をして、その責任が自分達にも存在するのでは? という視点が欠けていることを実感させられます。 

原因の一番は現代社会の孤食や個食の増加と、食文化の変化で簡便化(インスタント・レトルト食品)が進み、手間と時間をかけた食品から親の愛情を受け取っていない事も子供側の無意識領域にあると思います。 

人間も動物で、生きる上での基本になる『物を食べる』という行為は家族や誰かと一緒にする行為と時間の中で多くの社会性や生きて行く為の知恵を獲得しています。 

昔から食事は部族や家族が一緒にするもので、一人で食事をする者は所属する共同体から拒否された者か? 自ら拒否した者で(ゴリラは思春期に生まれ育った群れから離脱)、これは動物の集団でも同じです。 

生きる為の食事を分け合う中でお互いの愛を無意識に確認し、その間の会話を通してお互いの立場を理解する社会性を獲得し、各世代の立場や役割やその恩恵を理解し、その営みを通して受け継がれた祖先からの恩恵で生きている自分を実感しています。 

豊かな先進国ほど孤食が増え、その先進国で事件や罪を犯す人ほど孤食の機会が多い現実が、共同体からの離脱がもたらす人間の悲しさを表しています。 

食事と同様に合唱やダンスなど、人間は他者や多くの人との共同作業を成し遂げた時に高揚した幸福感を持ちます。 

塾や仕事の為に孤食になるのは、幸せになるという目的の共同行為より、お金という生きる手段を優先するようになった為です。 

一緒に食事をしながら会話する行為が世代の理解と融和を緩やかに強く結びつけ、その食事仲間が連帯し見守りあっていると無意識に確認する中で、それぞれの個人が困難と闘う時の力強さの源泉になっているのです。 

勉強でも仕事でも『心と腹が満たされて』いる人は、集中していて短い時間でも成果を上げますし、相互理解で身に付けた社会性は自分への協力者を増やす相乗効果にも繋がります。 

家族の帰宅が遅い家庭はメタボ対策も兼ね、全員が揃う朝食をメインに栄養と会話の時間を豊かにして相互理解を増やす工夫が必要な時代と思います。

『時間がない』という言い訳が常ですが、工夫や努力は『執念に近い願望』を持たないと何事も成就しないと私は思っています。