ささやかな人生。

以前書いた『お金万能の汚染が家庭内に広がってしまった弊害』の始まりは、家庭で『なぜ勉強するのか?』の子供達への教え間違いと思います。

勉学に励みいい高校や大学に行き、安定した給料の良い大企業に就職する事が目的化し、それが幸せに繋がっているかのように刷り込まれて育つ意識の中に有る暗黙の了解は『お金』です。 

そして多くの親が子供に『自分のしたいことを探しなさい』と言うのも自分探しの迷路に追い込み鬱病に繋がります。

昔娘が中学生の時、『何になりたいか判らない』と言って来た時に、『何になりたいか、今から判っている方がおかしい』と答え、取り敢えず楽しいことをやっていると自然に見えてくるから急いで決めない方がいいと答えました。

高校・大学と進み大人になって行くうちに、働くことは自分の人生を豊かにする為の手段で、今は結婚した伴侶との生活を豊かにすることの自覚が、仕事に責任を持つことになっていると思います。

いずれ二人で力を合わせて守るべき子供が出来れば、その子も含めた生活の為の様なささやかなものの為で私はいいと思っています。

仕事が何に向いているか? も取り敢えず何でもいいから仕事を一生懸命やってみてからの話です。

一生懸命しない奴ほど向いてないなどと言いますが、どんな仕事でも頑張って誰かの為になっている結果に繋がると楽しく面白くなりますので、自己顕示欲より自分自身の心を豊かにすることを目的にすることです。 

最近はゴルフや野球などスポーツの英才教育を、親が幼児期からしてプロとして活躍している人がマスコミに取り上げられていますが、成功者はごくごく少数で、取りあえず今は成功して億のお金を稼いでも、親の強制から始めたレールで、果たして死を迎える頃に『幸せだった』と思えるのでしょうか?  

何に向いているのか? 何をしたいのか? もがき苦しむ中で、生きる為に働かなければならないことを通し、沢山の壁と向き合いながら自分と家族の為に日々の学びと努力を続け、自分を見つけるのが人生では? と私は思います。

老年期を迎え自分の人生を振り返り『色々有ったが自分で選択・決断し自分なりにやり遂げて来た』と思える人が幸せだと思います。

もがき苦しむ中でしか獲得出来ない、支えてくれた人への感謝や、弱者を経験して身に付けた弱者への思いやりが本物です。

金銭的な欲望を満たす為や社会に賞賛される事を目的にすると、夢破れた時は鬱病か自殺に繋がる今の傾向を改めて、少数でも身近な大切な人を幸せに出来る人間になる為の学問と教えれば、ささやかでも豊かな人生になると思います。