40年の時間。

最近は何かにつけて妻から『本当にひねくれているね』と言われるので、深々と頭を下げて『こんなひねくれ者と四十年間も一緒に暮らして頂き有難うございます』と嫌味を素直なオブラートに包んで言うと、『最近は丸くなって可愛くなったね』と言われたので、『丸くなんかなっていない! 角はそのままで、外に大きな丸を作って人間を大きくしたの!』と言うと、『ああ言えばこう言う、少しは素直になったら』と言われ、『はい』と言うと、『そう言えば、十年くらい喧嘩をしていないんじゃない』と言われたので、『私の頭がいいから上手く行ってる』と言うと、妻は『私がじーっと我慢してきたから』と言い返され、まるで漫才のやりとりのような日常の出来事の中にある阿吽の呼吸に歳月の長さを思います。 

先日も来店中のお客様に『うちの女房は頭が悪いので私の言う事の半分も理解していない』と言った時に、女房が買物から帰ってきて『ただいま、いらっしゃいませ』とお客さんに挨拶したので、『悪口を言うと、聞こえるのか? 現われる』と言うと妻がニコニコ笑って二階に上がって行った後、お客様が『大丈夫なの?』と聞くので、我が家では本当のことは怒らないことになっていると言うと、『???、いいわね???』と困惑していました。 

価値観も文化も違う育ち方をした二人が、厳密には錯覚から結婚して同居生活の間にあった数々の葛藤をお互いに経験し、その日常を通して肌で感じるものの中に温もりがあるか? ないか? 誰でも判っていると思うと言うと、頷いていました。 

親子や夫婦の生活は、長い時間軸の中で沁み込み築き上げられた中で感じ取ったものが真実で、だから家族は大切でかけがえのないものなのだと思ています。