金融ゲームと企業モラル。

金融機関の役割である『預かった預金を未来ある企業に融資をし、その利鞘と手数料で存続することで社会的責任を果たす』時代は終わったようです。。

数々の金融危機で世界的に不景気になっても、懲りずに金融ゲームが続き『負け犬の遠吠え』も限界です。 

物を作る訳でもなく、サービスを提供する訳でもなく、原油投機なども沢山の消費者の負担の不幸の上に成り立つ構図は搾取そのもので、サラ金に似た弱者につけ込んだシステムに見えるからです。

『人の不幸に乗じての金儲け』はいずれ破綻するのは道理ですが、また次が出てきます。 

産業革命以後に工場で働く人達を見てマックスウエーバーが『嫌なことを我慢して働いてもお金が欲しいのは、欲望の形態としては変態ではないか?』言った事を思い出しますが、

現代よりゆっくりと暮していた時代のことを考えると頷けます。

何が正しいのか? も時代と共に変化するものですが、手段と目的が逆転した病理に翻弄されて、真の生きる意味を見失ってしまった現代を思うと、荷物を軽くして少しゆっくり生きることに目覚める時と思います。  

ほとんどの人はお金を持つと家・車・服などに贅沢しますが、その家庭の人達が幸せとは限りません。 

私共のお客様で、バブル崩壊後にリストラされ少額な仕事を見つけて家族を大切にしたご主人の奥様は、不満を言わず『あの人は優しいいい人なの』と私には隠さずに淡々としている姿に本当の女性の強さ感じました。

何故か? 感動して『幸せですね』と言った時の、その人の笑顔は本当に素敵でした。

十年以上経過した今もご来店頂いていますが、あの困難を乗り越えて今は安定し幸せになっておりますが、『あの事が有って、むしろ良かった』と奥様が話をしていました。 

昔『人生はご和算になる』と教えられましたが、三十八年の商人生活で沢山の人の浮き沈みを目にしてきた私は心から実感しました。

大切な人と一緒に暮らす事が目的で、その生活の中身がお金になっている人が増えている現状では珍しい出来事です。

利益追求だけでなく社会的責任や理念も併せ持たない企業の破綻は、公平な社会への必要条件ですが、ちなみにその企業はリストラ二年後に破綻しました。