結婚の時代的変化。

最近のデーターでは四人に一人が未婚で生涯を過ごし、四人に一人が結婚しても離婚する時代になったとの記事が出ていましたが納得です。

未婚の背景については別な手紙に書きましたが、根本的な変化は『忍耐とか我慢』が間違った場所で行われるようになったこともあると感じます。 

資本主義と共に、自分の利益に結びつく場面での忍耐や我慢はする拝金主義が横行し、社会の中で大人がそんな見本を見せ育てた責任が一番大きいように思います。 

損か? 得か? でものを考える習慣になると、労働の対価を分け合うより独り占めした方が得で、家事労働も自分の分だけする方が楽で得ですので非婚化が進みます。 

結婚は文化的に違う育ち方をした者同士が同居し、お互いの労働の価値を認め合う過程の葛藤の中で、お互いが相手に贈与を続ける忍耐や我慢を経て、その家庭の新しい文化を作り上げ、健全な子孫を残す作業です。

相手に贈与を続ける為の忍耐や我慢ではなく、相手からの贈与を求めることが優先では破綻し、離婚に繋がるのも必然です。 

原因の根本にあるものが、都合のよい自由民主主義の解釈ではなかったか? と思います。 

米欧では子供の時から義務と責任を果たさないと自由も権利も与えられない環境で育てる事が常識ですが、日本では自由と権利に伴う義務と責任を教育することを怠りました。 

明治時代の選挙権は二十五歳以上で国税十五円以上納めている者、元服制度も義務と責任を優先的に課していて、政治制度は違っても倫理的には機能していました。 

結婚生活は、お互いが果たしている義務と責任への感謝と敬意を共に肌で感じ、その義務と責任の中に共生して生きることに喜びと意味を見出す共同作業です。