無意識の世界が意識の世界を支配。

沢山の人と会う仕事の私は、世相の変化を肌で感じさせられますが、最近は全ての年代の人が強い不安を持っています。 昔は野心に満ちていた若い人達も、年金でリストラのない高齢者も、それぞれに違う強い不安を持っています。 

このような不安は何処から? と考えていて、10年ほど前に娘と井上陽水のコンサートを見た後に、居酒屋で哲学者・竹田清嗣の書いた『陽水の快楽』を薦められ読んだ中に答えらしきものを感じたのを想い出しました。 

昔は農民の子は農民になり日常必要な『知』は限定されても生活できましたが、近代社会では何者にもなれるが・・・その為には日常を超えた抽象的な『知』を獲得所有し競争社会の中で自己実現をして行かないと社会とのかかわりの糸口を失ってしまう状況に変わりました。

如何に生きるべきか? 個人は社会とどのような関係をもつべきか? それぞれが近代の社会から否が応うでも迫られて生きなければならない時代になったと述べていました。   社会が高度化する程、要請される『知』の量は増大すると思うと、現代人の漠然とした不安は論理を超えた肌で感じるものと思いました。  

フロイトの無意識の領域が意識の領域を支配している、は今現在のことを考え決断している意識の領域は、無意識の領域に押しやっている(生まれてから現在までの経験で身に付けた文化)宇宙みたいなものに実は支配されて決断し生きていることを示唆しているように思います。

ニーチェの知る事より感じる事の方が重要だ!・・・の言葉のように心の襞みたいなもので感じて、誰もが無意識の領域では経験したことのない、『漠然とした』はっきりしないものなので、なおさらに不安を感じるのでしょう。