衆愚政治とファシズム。

政治腐敗の問題を思う度に、政治家も裁判員制度と同じくじ引きにする方がマシでは? と思います。

くじで選ばれた人は辞退も出来て、国政の任期終了後の職場復帰が保証されていれば、広い視野で国政を経験した知恵と視点が職場復帰後に生かされ、その間の権力もくじで偶然当たっただけと謙虚な気持ちで任期を過ごします。 

一党独裁を許す一番の問題は、政界・財界・官界の癒着を促進してしまう事です。 

敗戦から右肩上がりの高度成長の原動力を生む基になったのはマッカーサーによるパージ(浄化・除去)が財界にも及び、政官財の癒着も一緒にパージされ、それが若者の野心や大志を促進したことも有ったと思います。 

人間世界の逃れられない宿命は権力を維持する為の癒着を排除出来ないことで、その癒着を客観的な目で排除できるように考えだされたのが民主政治だったのでは? と思います。 しかしその権力者を不安定な状態に置くような賢い国民が少なければ衆愚政治になるのは必然です。 

民主性の一番怖い問題点は選ぶ方のレベルが下がれば、政治のレベルも下がることで、投票率の低下と国民レベルの低下が比例して下がっていると思います。

今の国民の投票行動は自分に有利な政策をしてくれる人や政党で、この国の未来(子供達や若者)ではありません。

小泉さんの時に財界の要請で労働者派遣法を製造業にも認可してからの格差拡大のように、シルバー民主主義を含めて社会を変える一番手っ取り早い方法は政治だと国民が認識する時です。

日本が本当に貧しい時代の『姥捨て山』はその村の存続をかけた問題を、村民全員による哲学の結果で、未来ある者を優先した一種の政治です。

衆愚政治からの脱却には、政権維持の為に国民本位の政治をしないと次回は失脚するのでは? という不安を権力者に持たせ続ける為にシーソーのように揺さぶる知恵を国民が持って、投票率も80~90%近くに上昇すれば、否応なく国民の為の政策を遂行します。 

有名人が当選の確率が高いのも衆愚で、選挙中は謙虚ですが当選の瞬間に『私は国民に選ばれた』と傲慢になります。 

孔子の言葉で『君子は善良な人に好かれ、悪い人に憎まれる』と有りますが、善良な人が少なく悪い人が多いから警察と法律があるとすれば、本当の子は当選できません。

小泉さんの異常人気の時、国民の感情と情緒だけの選択に、その行き着く先はファシズムと感じましたが、安倍政権にはその怖さをもっと感じます。