手段と目的。

現代の事件や犯罪を冷静に眺めると、手段と目的の逆転を実感させられます。 

子供による親の殺人なども、愛すべき子供を手段として使うから嫌悪されて起こる事件だと思います。 

ただ愛すべき対象とし、時には愛するが故の『薄情の情け』でも、子を愛するがための明確な目的が有れば、子供の生きる力は強くなります。 

夫を収入の手段、妻を家政婦役の手段としてでは、家族の心は荒廃して行きます。 

愛する家族の生活を守る目的の手段として働き、家族を憩い癒す目的の家庭を維持する為の手段として家事に励む事が、目的と手段の健全な形です。 

無差別殺人はやり場のない自分の自我暴発の目的の為に他人を手段として利用し傷つけたり殺したり、偽装事件は少しでも多くお金を得る目的の手段に消費者を騙し利用しましたが、誰でも信頼している人に自分を手段として利用されると、悲しみの果ては激怒し暴発します。 

歴史を辿れば、権力者も多くの人を国の為などと偽り手段として利用し戦争したり、歴史的建造物を作ったりしましたが、稀には国民への失業対策で作った歴史的建造物も有り、健全な目的の手段として存在しているものも有ります。 

結果は一緒でも労働者の気持ちの中身は全然違います。 

家庭も会社も国も、形は一緒でも中身に違いが出るのは、この手段と目的が健全か? 否か? です。 

現代社会の諸問題は、親が子供を自分好みの、会社は社員を利益を上げる手段として使う事に諸悪の根源が有るような気がします。 

目的の為に正しい手段を使うには『自分と他人を愛する両方の力』が必要ですが、本当に『他人を愛する力』を身に付けるには愛された経験が実は重要な役割を果たしています。