ゲームのルールを知って戦う。

様々な世代との出逢いの中で、社会的な階層の連鎖が進んでいる実感に恐さと活力低下の必然を思います。 

『自由で平等な競争社会』の原則は機会の平等ですが、小泉改革以後自己責任論が幅を利かせてから、弱者が限りなく弱者にされ続けています。 

その一因に弱者が強者になる為の社会システムの知識に無関心な事も有り、階層が下がるほど親も無関心で、その子供達も無関心です。 

これではゲームのルールを知っている者が勝ち続け、知らないで戦っている者は負け続けるのが道理で、階層の連鎖は止まらず活力も出てきません。 

そしてそのような家庭で育った若者に多い傾向は、階層上昇に一番必要な『すいません知りませんので、教えて下さい』という言葉を使う恭順な態度が欠けていることです。 

そんな意欲を失った諦めの悟りは、俺・私の家の財力では勉強しても大学には行けない、努力して勉強する事は無意味と子供達が身体感覚で知らされている事にも起因している様に思います。 

しかしその時代のシステムを理解して戦わないと勝者にはなれないことも学問しないと理解できません。 

弱者への福祉同様に貧困層も弱者ですので、裕福な階層が選べる私立助成金を止め、義務教育後の公立高校や国立大学の授業料も完全無料化して『機会の平等』を施すのが急務と思います。 

親は選べなくても、自分の人生を切り開く知識と能力を獲得する為の公費負担制度の社会的認知を進めれば平成の二宮金次郎も現れます。 

そんな人参に喰らいつく意欲がある子を育てる社会的環境を作れば、貧しい家庭の子も『生きる力』が発揮できて、自分の衣食住くらいバイトで稼ぐ意欲に繋がり、裕福な子供達との相互理解を通じて化学反応が起こり社会に活力をもたらします。