なぜ働くか?

大きな社会問題の成人未就労の増加は『働くことが義務であり、若い時は仕事が社会と繋がる唯一の糸口である』事を子供に告げずに適正や能力にふさわしい仕事を目指すように育てた大人世代の責任もあるように思います。 

仕事で自己実現や自己表現をするように刷り込まれて育った人達は、挫折した時に鬱病や引き篭もりになりがちです。 人間の適正なんて本人も判らないもので、働いてみて自分がどの程度人間なのか? 自分にどんな適正があるのか? 初めて判るものです。

不況で働く所がないという人も、仕事を選ばなければ何でも有りますし、どんな仕事でも義務と認識して完遂してみて初めて見えてくるものが有ります。 

つまりそのような行為を通して自分の適性や能力が発見できますので、適正も能力も仕事の前ではなく後にしかないと思います。 

プロスポーツ選手や小説家や画家も仕事をして、その結果だけで適正も能力も判定されていますが、作品も結果も残さないで、私は画家やプロの選手と言う人は少し頭がおかしいだけです。 

そして仕事に伴う苦悩も必須のもので、どんな有名人でも苦悩を伴う節制や努力なしで偉業を成し遂げる快楽に到達することはできません。 

プロはその結果で賞賛と収入を得て、一般の人は自分の労働が家族や社会から必要と認知される事で収入と喜びを感じるのですが、特にプロは創造し続ける苦悩の連続です。 

一流大学出にニート・フリーターが増える原因も『自分の適性や能力を生かせない・創造性がない・給料が安い・体裁が悪い』等と仕事を自己実現する場所と考えているからだと思います。

男も女も仕事は『人間が人間として生きる為に必須』の背負うべき役割と教え直す時と思う此の頃です。