私と父。

還暦を過ぎてから私と父の親子関係を俯瞰して思うのは、四人兄弟の中で一番期待されずに育った幸運です。 

それは子供への過剰な期待で親の道具にして高学歴や一芸に秀でる事を強制する親の増加が現代の様々な問題の根幹になっている気がするからです。 

子供は親に愛されたいので、親の欲望を取り込み、親の望むものになろうとしますが、核家族では『おまえだってこうだった』と親に言ってくれる人がいないので、密室で子供は挫折を許されず、手を打つという事すら学べず、からめとられてしまいますが、幼少期勉強ができなかった私は父の範囲外で、祖父に愛されました。 

叶えられなかった夢を子供に託す行為は、親自身の自己愛が過剰な期待として子供に投影された結果ですが、その過程で子供が抱え込んだ嫌なものを思春期以後に吐き出す行為を通じてか? 成長過程で他者と自分を比較して思い知る中で自己愛的な万能感を修正するか? のどちらか以外、長い人生で自己愛が傷ついた時の健全な心の回復治癒方法が身に付きません。 

誰もが悩みや葛藤を抱えて生きている常識に気付く余裕を失い、自分だけとんでもない目に逢っているという被害者意識に囚われる罠に落ちます。 

健全な自己愛獲得には、自分に出来なかったことを子供に託していた親の弱さを悟り、過去の憎しみを赦す人間的成長を成し遂げないと、その時点から自分の人生が前に進んでいない事すら自覚できません。 

私が『家族を支配することでしか、自分の強さを確認できない』父の弱さを赦し、忘れるように努めているのは、トラウマとは嫌な思いから逃れられず、そこに居座ってしまう為と書いていたフロイトの言葉に思い当たったからです。

心の免疫力が高い健全な人は、嫌な記憶は削除して忘れ、いい想い出だけを記憶にとどめて前に進む傾向が有るそうです。